果たしてツンデレなのか?そしてツンデレは最強なのか?

衛慧、『ブッダと結婚』、講談社、2005年

ブッダと結婚

 前作、『上海ベイビー』も確か文庫版を読んだはずだったんだが、ああ中国はバブルなんだなあ、という感想以外は綺麗に忘れてしまった。今回も、やっぱり中国(特に上海)はバブルなんだなあというのが先ず感想。しかしまあ、現代中国のハイソでクールな若者のハイライフというのはこんな感じなのかなというのは分かって興味深い。前作では、よく言わた性愛描写の過激さだが、あれはドラマを回す舞台装置みたいなもので、特に作品本体と不可分なのかと言われると疑問の余地があったような気がした(がもう忘れた)。

 しかし、前作と比べると、今作には「房中術」の様な老荘的な(というよりそこから分化した神仙系の)思想を象徴している様な気配もあり、衛慧さん、ニューヨークで中国人としての「私」というアイデンティティに開眼か?と思わせるところもある。また本書ではそうした老荘的な思想とともに、仏教的な思想というのもその根底に流れているようである。中国思想におけるメインストリームは「儒」であり、またそこから外れれば「侠」であり、一方でそうしたメインストリームに対抗する形で「道」や「仏」がある。筆者の言う「東洋の哲学」として「道」と「仏」、あるいはその混交としての「禅」(中国思想を齧ってる人からすれば出鱈目かも知れんが)が持ち出される辺りが興味深い。そこは恋人の日本人、Mujuによって気付かされたという点が大きく働いてるのかもしれない。中国人はどうも木と紙で出来た日本の伝統家屋などを見ると禅味が刺激されるらしい。そして唐の時代の文人趣味的なモノも刺激されるらしい。中国人の時々言う、唐の文物は日本に色濃く残ってますねというお褒めの言葉には、「華夷」という図式の中で天朝の礼教を学ぶ夷狄、愛い奴という臭いを感じるのは、私が病気だからですwむ、話がそれた。

 とか考えると、日本人の恋人というのは「東洋の哲学」を主人公に気付かせる道具立てとして登場するのか、はたまた性愛描写の様に世間の顰蹙を買う為にわざと出てくるのかと曲解して読み進んでいくと、どうも日本人の男の駄目なところが仔細に観察されているのでそうでは無いらしいと分かった。ともかく「ごめん」と誤ったりするところとか、事を複雑にしたくないからこそ誠実なのだというようなところなどは、やべえwwwwばれてるwと思いましたよ。流石に一流の作家の目は見抜いていると。リアルな日本人に触れる一方で、特に悪いことが書かれてるわけではないが、カリカチュアされた日本人のステレオタイプの様なものも顔を覗かせたりする。その辺のギャップがまた面白いところでもある。海外での生活が、そしてそこでの恋愛がある一人の人間の世界観を変えて行く、そして衛慧の目を通してそれを読者も追体験するのだと(たぶん)。ちなみに日本人のリアクションも傑作なものが多い。「君はほんとうにお姫様だね!」とは恋人のMujuの言。いやあ、まじでよく言ったと拍手しそうになりましたよ(分かる人には分かるw)。

 しかし話の種に読んだけど、個人的には普段こういう恋愛小説みたいのは読まないので大変でした。

紅い資本主義の行方はどっちだ?

興梠一郎、『中国激流―13億のゆくえ』、岩波書店、2005年

中国激流―13億のゆくえ (岩波新書 新赤版 (959))

 2005年7月20日に第1刷が発行されて、2006年1月16日には既に第6刷発行となっている。新聞や雑誌などのマスメディアに載る多くの中国情報が物足りない昨今(無論、良質の情報もあるけど)、この本の様な良著が数多く売れているらしいことは素直に喜べる。昨年の今頃起きた反日暴動をきっかけに、マスメディアを眺めてるだけでは感得できない、「中国の今」に関心が集まっているという現われであろうか。

 さて本書の内容であるが、改革開放と市場経済化によって齎された光の部分が経済成長であるならば、その陰の部分である社会問題や経済問題を取り上げている。その範囲は、農村問題、土地徴用問題、腐敗問題、不良債権問題、格差の問題、政治体制改革の問題、など幅広い。具体的な事例をもって紹介されているそうした問題に通低しているのは、これらの問題は、実は全ての権力、国家機関、社会団体を支配する共産党一党独裁体制の弊害であり、また中国国内での「改革」とは何かということ巡る論争でもある(終章、激流のなかへ、に詳しい)。「新自由主義者」と「新左派」の論争を引き起こす改革の矛盾が現在の中国社会では表面化してきているのである。

 市場経済社会主義体制の遺制の双軌制の下、或いは市場経済と如何なる監視も監督も受けない専制的な政治体制の下で、中国の市場経済が実は政府の強い介入を伴う(往々にそれは腐敗と同義である)歪な市場経済であると強調する。著者は多くの社会矛盾、経済問題の根本原因が共産党の党=国家体制に基づく専制独裁政治にあると喝破する。本書にも書かれているが、それは一部の中国人知識人の見解とも共通するものである。こうした状況下で「奇跡の高度成長」を遂げながら、市場・金融開放の衝撃と格差の拡大が原因で危機が発生した南米諸国を教訓に、中国のラテンアメリカ化という議論も出てきているのである。

 世間で喧伝される楽観的な中国経済発展論と、願望混じりの中国経済崩壊論という極論に依ることなく、豊富な事例に基づいて中国経済の直面する問題を取り上げた良著である。先にこのblogでも取り上げた皇甫平のエッセイ(参照)と合わせて読むと中々に趣き深いものがあった。

 ちなみに経済のさっぱり分からない私でも楽しく読めたので、経済オンチの方にもお薦めです。

『〈鬼子〉たちの肖像 中国人が描いた日本人』

「鬼子」(グイヅ)たちの肖像―中国人が描いた日本人 (中公新書)

武田雅哉、『〈鬼子〉たちの肖像―中国人が描いた日本人』、中央公論新社、2005年

 ネタのレパートリーを増やそうかと思い書評の真似事などしてみようかと思う。というか、書評というほどのものでなく読書記録というか、感想文程度のものだと思っていただきたい。

 さてこの『〈鬼子〉たちの肖像 中国人が描いた日本人』であるが、タイトルからするとおどろおどろしげな日中戦争期に日本軍人がどう描かれたかというような内容かと思われるかも知れないがさにあらず。いや、間接的には関係しているのだろうが、直接的に書かれているのは日清戦争前後の『点石斎画報』を主とする画報において日本人が如何に描かれていたかというものである。画報とは何か?本文から引用すると「画報とは、図像と文字テキストをともなったメディアである。」とある。ようするに絵入りの新聞のようなものである。筆者はそこに描かれる日本人の図像から、東洋鬼子、日本鬼子のイメージが如何に形成されてきたのか、引いては中国的な世界観の中で人とはなにか、異人・鬼子とはなんなのかを考えていこうとする。華夷秩序によって形成される中国人の世界観では、中国人こそが「人」であり、それ以外の異民族は「人ならざるもの」つまり「鬼子」として認識される。そこはそれ中国の礼教を身に付けている夷狄はおまけとしてより人間らしく描いてもらえるという特典もあるのだが。図像の中でこの「人」と「鬼子」というの実にネガとポジの関係のように対照的に描かれるのが興味深い。

 まあそんな堅いことを抜きにしても、この『点石斎画報』に載ってる絵だけを眺めても楽しい。列国の外交官という図の中で何故か着流し風に厚ぼったいどてらの様な着物をきているちょん髷の日本人外交官、商家の若旦那という風情の様子で水泳を見物する天皇、仁丹の看板そのままの日本軍の将軍、などなど突っ込みどころ満載の図像がたっぷりと紹介されている。また絵の構図やら細部の日本人の表情なども日清戦争期の報道とそれ以外の平和な報道での差異が興味深い。近代の出来事が伝統的な図像の様式美の中で再現されることの面白さのようなものもある。日本での明治時代の錦絵などに通じそうな面白さである。この『点石斎画報』、なんとリプリント本として『点石斎画報』(広東人民出版社、1983)、『点石斎画報』(大可堂、2001)があるという。はっきりいってこれは欲しい!物凄く欲しい。このリプリント本には版によって生じる中々に興味深い問題があるのだが、それは本文で確認していただきたい。

 また日頃、中国の新聞などを読むのを趣味にしてる人間からすると、『国際先駆導報』や『環球時報』などに出てくる悪い意味での日本人のステレオタイプのご先祖様が、すでに清朝末期には登場してるところに微苦笑をさそわれる。あー、もうこの頃からやってるのかあ、ひょっとして伝統芸能かなんかじゃないんだろうか、と思ってしまったよ、私は。(まあ「華夷」という見方からすれば当たらずも遠からず。)しかしまあ昨今のあれらは、三国志演義に出てくる南蛮諸将のように鱗があるとか、頭から角が生えてる見たいな描かれ方をしていない分ましなのかも。

 巻末の著者略歴をを見たら『よいこの文化大革命』なる著書が。これは読まねばなりますまい。

中国における支配の問題に関する若干の考察

 権力というのは政治的強制力、もっと言えば物理的な暴力である。英語というのは中々に見も蓋も無い言語で、権力は“power”と訳される。真に権力というものの本質的な意味を表わしている。したがって国家の権力とは具体的な暴力装置である警察力であるとか軍事力をその源泉としている。

 しかしながら、一々政治的な権力者が物理的な暴力を発動して、彼の意志を被支配者に強制しようとすると、政治的、社会的な混乱状態が常態化してしまう。そこで、権力者は被支配者が彼の政治的決定を正当なものとして認め、自発的にそれを受け入れる状態に置きたいと思うようになる。被支配者の自発的承認を得た権力は権威として受け入れられるようになるが、この状態をM.ウェーバーは「支配」とした。支配とは権力が正当なものとして、被支配者の多くに受け入れられている状態を言い、その正当性は服従する側の「信念」のレベルで捉えた。ウェバーは支配の正当性を三つに分類した。合法的支配、カリスマ的支配、伝統的支配である。

 とまあ、今回のエントリーは古典的なウェーバーによる支配の正当性の問題を頭の片隅に入れつつ読んでもらいたい。中国政治の文脈においても支配の正当性の問題というのは中々に厄介な問題として登場してくる。大別すれば二つの側面があるかと思う。一つは党=国家の支配が人民から如何に正当性を得るのかという問題。もう一つは党内の権力基盤において、ある「領導者」が他の競争相手、一般党員に対して如何に支配の正当性を得るのかという問題についてである。一方は党が外に対して働きかける動き、一方は党内での動きである。当然にこの両者は相互に連関している。

 ウェーバーの解釈に依って考えてみれば、中国政治における支配の正当性を担保し得るものとして「カリスマ的支配」がすぐに思い浮かぶ。毛沢東訒小平という二人の巨人のカリスマがその支配の正当性を担保していたと考えるのは古典的な中国政治研究のアプローチであるし、また文化大革命の様な異常な状況下で毛沢東が権力を振るっていたという事実は、このアプローチを用いる際に良く使われる例だ。この毛沢東のカリスマは何処から来るのか?それは取りも直さず抗日戦争を戦い(歴史的事実のそれではなく、中国国内で流通する中国共産党による国生みの神話としてのそれ)、地主、一部財閥などの封建勢力の利益を代表する国民党を打倒し(これも右に同じ)、社会主義革命を実現して新中国を誕生させたそのリーダーシップと、それの精髄である毛沢東思想にその淵源が求められよう。現実路線を掲げて毛沢東に対抗した劉少奇毛沢東のカリスマと、それを熱狂的に支持する大衆の動員によって粛清されたのであった。毛沢東時代というのは彼の特異なカリスマを抜きに語れないのは事実である。

 毛沢東の死後に党内で権力を争ったのが訒小平華国鋒である。それぞれの政治資源、例えば訒小平が軍部の支持を背景にしているなどという要素も軽視するわけにはいかないが、その権力闘争の雌雄を決したのはイデオロギー闘争だ。中国政治におけるイデオロギー闘争とは何なのかということを考えてみたい。イデオロギーというのはある人間や集団の行動規範となる主義、思想ということかと思う。故に党内で行われるイデオロギー闘争とは、言い換えれば路線闘争、政策闘争と同じ意味を持つ。即ち、あるイデオロギーというのはある路線、政策を体現しているとも言えるのだ。毛沢東思想、訒小平理論、三つの代表論、科学的発展観、これらは何れもそれぞれの政権が取ってきた、また取ろうとする路線、政策を体現している。話を訒小平華国鋒に戻そう。このblogでも散々ネタにしているが、彼らは毛沢東思想の解釈を巡ってイデオロギー闘争を戦った。毛沢東路線の全面継承を唱える華国鋒の「凡是」と現実路線への転換を視野に「事実求是」を掲げる訒小平、両者はお互いに毛沢東思想の本質とは何かという点においての解釈を巡ってイデオロギー論争を繰り広げた。これはカリスマ亡き後、自らの路線が建党以来のイデオロギーに合致しているかどうかが、自身の権力の合法性を担保することに他ならないからではなかろうか。本来「合法的支配」というのは、選挙や法治を通した支配を言うわけだが、それが存在しない中国では正統イデオロギーの継承とそれを可能にする解釈によって権力の正当性が得られるのではないか。

 現在、中共は改革開放政策の結果、党内に様々な利害と権益を代表する利益集団が台頭し、また党自身も一つの利益集団と変容してきているという言い方がよくなされる。それは正しいのだろうが、一方で党内での利害の調整や権益の配分のみによっては洗練された支配の正当性を担保出来ないのも事実である。故に、党外におけるイデオロギーの持つ効用が低下しつつはある反面、党内においては依然としてイデオロギーが自らの権力基盤に正当性を賦与し、党内の支配の正当性を確立する道具としては有効に機能していると考えられのだ。そうでなければ、改革開放以後も党内生活においてイデオロギー的なテクニカルタームが未だに重要な意味を持つことを説明できないのではないか。そうであるならば、現在においてもイデオロギーの解釈権は権力闘争の大きな武器として機能するであろう。

 目を党外に転じてみよう。先ほど述べた通り、、中共は改革開放政策の結果、党内に様々な利害と権益を代表する利益集団が台頭し、また党自身も一つの利益集団として変容してきている。一方で党=国家体制による一元的支配は継続しつつ、改革開放によって生じた国家と社会の境界における空間で社会は自律化する傾向を持ち、社会の利害関係は複雑化の一途をたどっている。現状の党=国家体制はそれらの複雑化する社会状況をフィードバックするメカニズムを持っていない。こうして、社会には党の独裁体制に対する正当性への疑問が生じてくるわけだが、中共は普通の開発独裁国と同様に「豊かさを提供する」という点と、また「愛国主義」によって支配の正当性を担保しようとしているようである。「愛国主義教育実施要綱」の発布以来、中国においては日本の侵略とそれを退けた中国共産党という彼らの国生みの神話を拡大再生産し続けている。民族の危機を救った中共の偉大さを強調する教育は、89年の天安門事件を受けての党内における危機感との関連も良く指摘されている。こうした流れのなかで、中国の党中央辺りで対日政策を巡って現実路線を採りたいグループと強硬派の対立が見られるという考えは、昨今漸く市民権を得つつあるように思う。この対立からは党内生活において対日弱腰と見られることは自身の政治的基盤、権力の正当性を失いかねないという空気が存在することを伺わせる。それが党外の大衆の政治動員を伴うとどうなるか。それは昨年四月の反日暴動で見られた通りだ。実はこの対日政策姿勢と権力の正当性を巡る権力闘争というと、国民党内の日本派と欧米派の対立、国民党と軍閥、国民党と共産党の対立という歴史の中で、これまた大衆の直接的な動員と結びついて連動してきた歴史がある。民族主義と大衆動員ということにまで広げれば、義和団事件南京事件(37年のじゃないよ)以来延々と繰り返してきたことでもある。案外二十二史を眺めれば同じ様な例がたくさんあることであろう。民族主義と政権の正当性という点に関して言えば、台湾政策もまたおおきな問題となっているようにおもわれる。対日政策にしろ台湾政策にしろ、公定愛国主義イデオロギーから大きく外れたアプローチを取ることは、権力の正当性を失いかねない事態となる可能性をはらんでいる。

 こうして見てくると、この一年ほどの間で党中央で路線の対立が垣間見られた問題というのはどれも密接に政権の正当性と絡んで来る問題だったことがわかる。私個人はその争点は主に三つの問題に集約されるかと考えている。一つは「和諧社会建設」という、胡錦濤自身の「科学的発展観」というイデオロギーに深く関わる内政問題、あとの二つは民族主義という揮発性の高いイデオロギーに関わる対日政策と台湾問題である。前者に関して言えば、両会を経て「新農村建設」という新たな政策が打ち出されたが、これがどの様に受容され、また拒否されて行くのかという動きは胡錦濤指導力、更に言えば党内権力の正当性をどの程度掌握してるのかという指標になろう。後者についてはグロテスクに成長を遂げた中国の民族主義と、軍部の様な暴力装置と密接に関わる問題でもある。様々な矛盾を抱えて中国社会の内圧は高まりつつある。とか何とか考えると、個人的には第十一期三中全会当時に引けを取らないような分岐点に中国は差し掛かりつつあるのではないかとう予感がある

皇甫平「改革を動揺させてはならない」を読む

 前回触れた皇甫平の評論だが、政局がらみじゃなくても中々面白いことが書いてあったので、皆さんと「享受」すべくざっくり翻訳して見た。現在、中国国内で論争の焦点となっているのはどういう問題なのか、というのが大まかに見えてくると思う。なお、文中の脚注は訳者注ということで。翻訳間違えてるところがあったらコメント欄ででもお知らせ下さい、訂正いたします。

 中国はまた歴史的な曲がり角に至った。全面的な小康社会*1の建設が進展する中、我々は国内矛盾の突出と国外摩擦の多発する時期の重なり直面している。社会には新たな改革を否定し、改革に反対する思潮が出現している。彼らは改革の過程において出現した幾つかの新たな問題、新たな矛盾、西側の新自由主義を信仰することの悪しき結果を取り上げて批判し、否定し、恰もまた改革は「姓社姓資」論争に立ち返ったようである。

 我々は歴史と現実、理論と実践の両者を結合させて正確に現代の問題を観察し、分析しなければならない。

 前世紀の80年代末90年代初頭に、改革開放の否定は反動的な思潮の横行として世間に知られた。この歴史的に重要な局面において、訒小平の「計画経済は社会主義とイコールではない、市場経済は資本主義とイコールではない」、「姓“資”と姓“社”どうちらが重要かという問題だ。判断の基準は、主として社会主義の生産力を発展させるのに有利か否か、社会主義国家の総合国力を増強させるのに有利か否か、人民の生活水準を引き上げるのに有利か否か、を見るべきだ。」、「中国は“右”を警戒する、しかし主としては“左”を防止する。」 という発言でその行方は定まった。

 当時、江沢民を核心とする党中央は、十四大において訒小平の南巡講話の重要精神を全面的に貫徹執行し、改革開放と現代化建設を推進し、新たな歴史的な発展段階へと進んでいった。中国の今日がすばらしい局面にあることができ、広範な人民大衆が安定して幸福な小康生活を過ごせるのは、我々が一所懸命に社会主義市場経済体制改革を進めてきたことと密接な相関関係にある。

 市場化の方向での改革は巨大な成果を挙げたが、当然にまた不可避な新たな問題、あらたな矛盾を生み出した。現在のところ大衆の間でそれが比較的強烈に反映されているのが、貧富の格差、地域間の格差の拡大、生態環境の悪化、深刻な権力の腐敗、社会治安の混乱から、衛生、教育、住宅改革中に出現した、医療費、住宅費の高騰、就業困難などの問題である。胡錦濤を総書記とする党中央は時局の進展と実行的に問題を解決する精神に基づいて、科学的発展観によって全体の局面を統率し、和諧社会を構築する計画に努力することを打ち出している。これはその本質において訒小平理論及び「三つの代表」の重要思想を継承するものであり、改革を堅持することによって、改革によって出現した新たな問題を解決するというものである。更に改革を深化させ、開放を拡大し、健全で完全な社会主義市場経済体制を確立することで、徐々に都市と農村、地域間、富裕層と貧困層の格差の問題、経済発展と社会発展の調和の問題、経済社会発展と生態環境保護の問題、対外開放と対内発展の調和の問題、これらの問題を解決する為の統一された計画を案配することができるだろう。

 一部のものは改革によって出現した新たな問題、新たな矛盾の全てに市場化改革のゆえであると罪を着せるが、改革に動揺し否定することは、明らかに片手落ちであり、誤ったものである。経済体制の方向転換という歴史的な背景の下で、多くの矛盾は主として市場経済が未成熟であり、市場メカニズムの作用が十分ではないことによって引き起こされた。これは決して市場経済市場メカニズム自身の欠陥ではない。貧富の格差の問題は、市場化によって一部の者が先に富めるものとなったからというものではなく、市場化の過程で権力を手にするものが介入し、一部のものが他者の犠牲の下に急速に富を手に入れたということに起因する。行政権力の助けを借りて富を得て、弱者層に損害を与えたというのは、正に旧体制の弊害がもたらしたものであり、どうして市場化改革に罪を着せることができよう。

 社会の富の分配が不公平であるという問題の形成と拡大は、改革の誤りではない。それとはちょうど反対で、改革が障害に遭遇し、深化させるのが困難であり、予定通り進めるのが困難であるがゆえの必然的結果なのだ。その中でも重大な障害は、既得利益層が改革全体の効率を「部門利益」、「地方利益」に変質させることにあり、「権銭交易」*2を阻むことなくますます深刻なものにしている。歴史が既に証明しているように、「ある部分を先に富ませる」というのは英明で戦略的な政策決定であり、「効率優先」は旧体制を突破して、生産力の解放を喚起するのにあたって、重要な役割を果たした。一部の者が富を得ただけでなく、社会全体の豊かさは「水が漲って船も高くなる」ように一人当たり1500米ドルに達し、貧困人口も当初の三億人強から現在のところ2000万人まで減少した。これは改革開放の全体の「効率優先」の旗幟の下、「公平」が実現できることを表わしている。貧富の格差の縮小は人為的に富を得ることを抑圧することではなく、平等な権利の保護と貧困層が豊かになる速度を速めることでなされるべきだ。改革の目的は豊かなものを貧しくすることではなく、貧しいものを豊かにすることである。「仇富」感情は貧富の格差の縮小を何ら助けるものではない。これは寧ろ共同富裕へと向かうのに不利である。そしてこれは現代工商文明の簡明な道理なのだ。

 当面、大衆の日増しに増加する公共インフラ*3への需要と、同時に公共インフラの供給不足と、低効率の間の矛盾は、すでに中国社会の主要な矛盾の主要な部分となっている。公共インフラは政府が民衆に提供する社会サービス、例えば教育、文化、住宅、医療衛生、社会就業、社会治安、生態保護、環境安全などを指している。言い換えれば、「碗を持って肉を食う」という温飽問題解決以後、「箸を置いて母ちゃんを罵る」という話だ。*4何を“罵る”のか?土地が徴用されるのを罵るし、古い住宅の取り壊し移転を罵るし、教育医療費が高すぎるのを罵るし、住宅が高くて買えない、仕事が見つからないのを罵るし、腐敗官僚が多過ぎる、司法の腐敗を罵るし、治安が乱れすぎである、安全の保障が何ら無いことを罵るし、情報が不透明で不対称であり、やり方が民主的でないことを罵る、などなど。これら全ての問題は、正に社会の公共インフラの供給不足の問題だ。民衆はますます効率の高い、廉潔な、平等に参与し得る、公平透明な公共領域を求めている。

 明らかなのは、改革中の多くの問題と矛盾の真の焦点とは、体制の方向転換という時期にあって行政権力が市場化、分配に参与することによって不公平が生じることにある。行政上の資源(特に公共インフラの供給)の構造上、権力市場化は社会の富の占有と分配の不公平の突出した要素となる。権力市場化はまた改革本体が生み出した深刻なねじれである。そもそも市場原理を発揮すべきではない領域で、市場化を利用した金儲けのための「偽りの改革」が出現し、一方で強力に市場化を推進すべき領域での市場化改革の歩みは困難なものである。

 土地の市場化を例にとれば、地方政府は土地使用権を持つ者を交易に参与する権利から排除し、自らが直接市場交易の主体となっているようだ。一方で、地方政府と土地開発業者は最大の受益者となっている、土地使用権を持つ農民や一般住民の利益は損害を蒙っている。近年来、都市での住居取り壊し移転と農地徴用の一部は大量の民事紛争を引き起こし、これは地方政府の土地の徴用と土地に関する市場化の間の矛盾を深刻に反映している、政府の土地に関する市場化におけるあるべき機能と権力の執行手続きの欠陥を反映している。

 改革が進行する過程で出現した問題は、その深層において体制的な要因を示しているし、特に行政管理体制と相関関係にある。20年来の中国の改革は、多くの部分において技術上の現代市場経済のやり方を模倣したに過ぎず、市場経済制度の本質を取り入れたというものは数少ない。特に市場改革が停滞して後は、経済体制改革の問題に留まらず、政治体制、社会体制、文化体制などのそれぞれの方面に改革問題の要素は波及している。それ故に、五中全会で通過した中央の「十一期五ヵ年規画」に関する建議書の中で、政府の行政管理体制改革は改革に関する各項目の中でトップに上げられている。また先に政府の市場の壟断と専権の問題を解決することが、市場化改革に道筋をつけ、市場経済の完備を推進することとなる。機能面から言えば、政府は市場にあっては利益主体から公共サービスの主体に変わらなければならいし、公共資源、公共インフラの公平で、公正で、公開のもとで民衆にサービスの分配をし、市場の各主体が平等に競争できるような市場環境の創造に力を注がねばならない。

 中国は正に体制転換するにあたっての重要な時期にある。またこれは社会構造が大変動する時期でもある。利益主体の多元化、思想知識の多様化により、改革を深化する過程で利益関係は調整される必要があるし、遭遇する抵抗は必然的に大きくなる。改革の深さ、広さ、難度、複雑さは増加している。そして、我々が思想上に受けた伝統的社会主義理論と計画経済の影響は根深く、往々にして形勢の変化についていけない。問題に行き当たるとイデオロギー的な極端な判断をしがちで、問題を改革のせいにする。あるものは個別の事例で改革の全体の局面を否定するが、それは責任ある態度とはいえない。

 我々は更に思想解放を進め、独立した思考と判断をし、断固として科学発展観に基づいて全体の局面を統率し、全面的に改革を推進し、動揺することなく、歩みを止めることなく、ましてや後退するべきではない。新自由主義を批判することによって改革の実践を否定することは、その根本において中国の改革の歴史を否定するものだし、訒小平理論と「三つの代表」の重要思想を否定することでもある。改革は更なる完成が必要であり、市場経済は成熟する必要がある。しかし、30年近い改革開放の実践は既に一つの不朽の真理を証明した。それは、社会主義こそが中国を救うのであり、改革こそが社会主義を救うというものである!改革開放を堅持していくというのが人心の一致したところであり、市場経済の発展は大勢の赴くところ、経済社会の発展を加速することは衆望の帰するところである。時局にあわせて更に思想を解放することは避けて通れない道である。

皇甫平「改革不可动摇」『財経』総151期、2006年1月23日
http://caijing.hexun.com/text.aspx?ID=1500542

 色々と政局がらみでも妄想できそうな材料であるが、もう少しこのネタは寝かしたほうがよさそうではある。背景には党中央での路線対立とその路線に正当性を付与するイデオロギー上の論争があるであろうとはいつもの読みである。しかしこの皇甫平の評論文だが、個人的には前回紹介した『亜洲時報』ほど明確に胡錦濤よりと判断できないでいる。私がこれまで考えていたのは、胡錦濤の提唱した「科学的発展観」、「和諧社会」の建設という路線とイデオロギーは、上述の皇甫平のエッセイにあるように、改革によって生み出された「新たな問題」、「新たな矛盾」に対応するために出てきたものなのだろうが、一方でそれは経済成長率至上主義でそうした社会問題、社会矛盾を生み出した江沢民時代へのアンチテーゼともなり得る。貧富の格差の縮小、という問題に関して言えば富の再分配が必要になると思うし(富裕層と貧困層、都市と農村、地域間いずれも)、胡錦濤の路線で行くとそうした手法への親和性が高いかと思われる。しかし、皇甫平の文章ではどうも市場化の徹底という方向で論じられている。一方で、医療費、教育費の高騰の問題がでてくるが、実はこれ江沢民時代に病院と学校の独立採算制を強調したのが原因という面もある。どうも政治的文脈上は微妙。案外、全く関係ないという読みが一番正確なのかも知れないw。

 この文章、結構反響が大きいようなので色々とリアクションも出てくるんじゃなかろうか。リアクションが出てからのほうが妄想の幅が広がると言うものだ。もう少し材料も欲しいし。

*1:衣食住の最低限の生活水準を満たした段階の社会

*2:権力と金銭の交易。即ち収賄と利益供与の関係

*3:原文では「公共品」。公共サービスや暗には政治体制までも含む概念と考えられるので適訳が思いつかなかった。ここでは公共インフラと訳す

*4:原文、「端起碗吃肉,放下筷子骂娘。」意味は人間、腹が満たされれば、色々意見を言いたくなるという意味の俗話らしい。この俗話は社会問題を論じる際によく引き合いに出されるよう。温飽問題という最低限の生活問題が解決された後には、社会の側から色々な要求が出てくるようになるということを言いたいのだろう。

李大同の公開書信を読む

 中国青年報が発行していた『氷点』誌が当局からの圧力により停刊となった事件はご存知のことかと思う。日本語の新聞記事リンクはすぐに切れるので一部引用すると、
 

 中国有力紙「中国青年報」の付属週刊紙「冰点週刊」が、24日に停刊処分を受けたことが、同紙関係者により明らかになった。同週刊紙が11日付で中国の歴史教科書の問題点を指摘したのが原因と見られる。

 問題の文章は、袁偉時・中山大教授が執筆。1900年の義和団事件で、1か月内に児童53人を含む外国人231人を殺害した残虐行為の記述が中国の歴史教科書にほとんどない点などを指摘、日本の歴史教科書を批判するだけでなく、自国の歴史教科書の記述も見直すよう訴えた。

 中国青年報は、胡錦濤国家主席の出身組織でもある中国共産主義青年団の機関紙。比較的自由な報道姿勢で知られ、特に斬新な切り口の記事を掲載する冰点週刊は人気が高かった。今回の処分は、胡錦濤政権による言論統制強化を改めて浮き彫りにしている。

*1
*2
*3

 一方で停刊させられた『氷点』誌の編集長である李大同が公開抗議書簡を発表しているのでそちらも読んで見たが結構面白いことが書かれていた。ここでは1月25日に香港紙『明報』に載ってテキストを元に見て行きたい。*4なお、中共権力ヲチに関しては私は半可通なので、その辺の妄想具合は割り引いて見てもらいたい。

 直接の停刊原因とされたのは上述の日本語記事にもあるように、袁偉時による歴史教科書に関する批判の様だが李大同はその抗議書簡の中で他にも具体的に「上の方」の不興を買った記事とうのに言及されている。

 “上面”少數人對《冰點》週刊的扼殺,蓄謀已久。2005年6月1日,在反法西斯戰爭勝利60周年紀念日前夕,《冰點》刊發了《平型關戰役與平型關大捷》一文,真實記錄了面對民族危亡,國共兩黨兩軍密切合作、相互配合、浴血奮戰的真實歷史場景。與傳統宣傳不同的是,《冰點》首次在主流媒體上客觀真實地報道了國民黨將士在這場戰鬥中犧牲數萬人的戰鬥歷程。

 這樣一篇真實的歷史描述,卻遭到中宣部閱評組的蠻膻批評。他們批評的根據是什麼呢?沒有任何事實,而是根據“××年××出版社的中共黨史××頁關於平型關大捷的記述”,《冰點》的報道是“美化國民黨,貶低共產黨”。結果,在紀念中國反法西斯戰爭勝利60周年的大會上,黨中央總書記胡錦濤同志,在紀念講話中全面肯定了國民黨將士在抗日戰爭主戰場上的功績。誰對誰錯,不言自明。

 2005年6月1日に『氷点』は「平型関戦役と平型関大捷」という一文を発表したが、それが中央宣伝部の癪に障ったらしい。李大同が言うには、これはメインストリームメディアで初めて客観的に国民党将兵がこの戦場で数万にが犠牲になったこと報道したものだという。彼の言い方を借りれば、この結果は中国の反ファシスト戦争勝利60周年紀年大会上において、胡錦濤が国民党将兵が抗日戦争で果たした役割を全面的に評価したことで、どちら正しく、どちらが間違っていたか明らかにされたとしている。

 在連、宋訪問大陸結束之際,台灣著名作家龍應台女士在《冰點》發表長篇文章《你可能不知道的台灣》。文章用豐富的材料,首次客觀真實地向大陸人民介紹了台灣幾十年來的變化和發展,在讀者中引起了強烈的反響和好評,對溝通兩岸民眾起到了極為重要的作用。而這樣一篇文章,竟被中宣部某些人指責為“處處針對共產黨”,其眼界和心胸之狹隘令人驚詫。

 さらには連戦と宋楚瑜の大陸訪問した時期に、台湾の作家龍応台が発表した「あなたが知らないであろう台湾」と題する長編の文章を発表したがそれも中央宣伝部には不満だった様だ。李大同によれば、中央宣伝部の某人は「暗に共産党を批判している」と指摘していたとのこと。

 去年11月18日,黨中央隆重召開了偉大的無產階級革命家胡耀邦同志誕辰90周年的紀念會,曾慶紅同志代表黨中央對耀邦同志一生的光輝業跡、偉大人格作了充分闡述,受到人民群眾的熱烈歡迎。而中宣部的某些人卻禁止媒體發表紀念耀邦同志的回憶文章,規定只許發表新華社通稿,各媒體不允許有自選動作。

 2005年12月7日,《冰點》刊發胡啟立同志的長篇回憶文章《我心中的耀邦》,引起強烈反響,海內外中文媒體紛紛轉載,無數網友發帖說被文章感動得熱淚盈眶。對這樣一篇起到極好社會反響的文章,中宣部竟打電話到報社來問罪,稱報社違反了“沒有自選動作”的規定!在這些人那裏,哪有一點對胡耀邦同志的真感情、真悼念啊!

 まだまだ続いて、中央宣伝部の一部が胡耀邦を紀念し、回顧する文章は新華社電での発表しか許可しないと規定を定め、それぞれのメディアの独自の動きを許さなかったと暴露しつつ、2005年12月7日に胡啓立が発表した「我が心の耀邦」という文章は、前述の規定に違反しているとの電話を中央宣伝部から電話が来たという。

 

中宣部少數人對《冰點》的無理指責和批評還有很多。譬如,2005年11月30日《冰點》刊發記者調查,披露了武漢大學法學教授周葉中在學術著作中的剽竊行為。這位周教授在《冰點》記者採訪他時,竟有恃無恐地勸告道:你就不要管這事兒了,晚上中宣部就要找你的!你們總編輯會找你的!報道刊發後,果然遭到了中宣部某些人氣勢洶洶地問罪,蠻膻地指責這篇報道有嚴重的輿論導向問題。

 無茶苦茶な難癖も付けられてたのことで、例えば2005年11月30日の武漢大学の教授が学術上の著作で剽窃行為があったことを調査した記事にもクレームが来たとのこと。

 
 一番最後のは兎も角、直接の停刊理由とされる袁偉時の評論文以外にも中央宣伝部が問題にしていた内容と言うのは、台湾認識に関する問題、胡耀邦の再評価に関わる問題と、実のところ昨年の夏前後にどうも中央政治局でも論争があったと思われるイシューと被るところがある。(参照1参照2)ここ何年かの中央宣伝部のメディア抑圧というのは焦国標事件とか、『新京報』事件とかで明らかになったかと思うが、果たして今回の『氷点』の停刊が、「保守派」の先兵たる中央宣伝部の従来のメディア抑圧の一貫なのか、それとも党中央の政局がらみなのか。今回、停刊にあった『氷点』が中国青年報によって出版されていることも政局がらみの憶測を強めている。中国青年報は共産党青年団の機関紙であり、共青団といえば胡錦濤なわけだ。

 李大同の上げた抗日戦争時の国民党の再評価と台湾人作家による台湾に関する評論文、胡耀邦の再評価に関する評論文が中央宣伝部の圧力の原因となったとの弁と、胡錦濤の反ファシスト60周年紀念に際しての国民党を再評価する重要講話、胡錦濤が主導していたと言われる胡耀邦の再評価。この一致ぶりも妄想を逞しくさせる原因でもある。一方で、中国青年報はこの夏にも編集部と団部が新たな考課基準の導入を巡って対立していた(李大同もその渦中にいた一人)ということもあり、どうも『氷点』誌は「札付き」と見られていた思われる節もある。(参照)このピースがどこに填まるかは微妙なところだが、これも前述の中央宣伝部との軋轢の中で出てきた動きなのだろうか。中央政治局でイデオロギーや宣伝を担当しているのは李長春というのも政局絡みで妄想を加速させるのだが。

 とまあ、色々と妄想と憶測を逞しくしたわけだが、台湾関係では江八点11周年にあたって、「江八点」と「胡四点」に関して色々な憶測が出ている。両岸の一方である台湾に目を転じれば陳水扁春節の演説の中で「国家統一綱領」の廃止に言及した。何故にこのタイミングで、と考えると楽しい妄想の材料になろう。こちらは次のネタとしたい。

 さらに、改革開放を加速させた「南巡講話」に前後して、改革断固遂行すべしとの評論を行った改革派のイデオローグの一人である皇甫平が「改革中面临的新问题,只能用进一步改革来解决」と題する文章を発表した。*5
これに関しても中国ヲチャーからキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!という感じの声も上がっている。*6五中全会以来(こっちの総括もその内しなきゃと思っとるんですが)、久々に政局の雰囲気が濃厚である。こっちのネタもまた今度。

*1:引用元:「歴史教科書批判が原因か…中国人気紙が停刊処分」『読売新聞』2006年1月25日、http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060125i316.htm?from=main3

*2:他には、「中国、歴史教科書批判に処分 政府系紙の特設ページ停刊」『朝日新聞』2006年1月25日、http://www.asahi.com/international/update/0125/014.html

*3:「進む言論弾圧 中国内も疑問視 「冰点」停刊、編集長は徹底抗戦」『産経新聞』2006年1月30日、http://www.sankei.co.jp/news/060130/kok044.htmなど

*4:「李大同冰點停刊抗議信全文」『明報』1月26日、http://hk.news.yahoo.com/060126/12/1kr6a.html

*5:皇甫平「改革中面临的新问题,只能用进一步改革来解决」『財経』2006年1月23日、http://caijing.hexun.com/text.aspx?ID=1500542

*6:方徳豪「皇甫平重出江湖 呼籲防止左傾思潮」『亜洲時報』2006年1月28日、http://www.atchinese.com/index.php?option=com_content&task=view&id=13121&Itemid=47

農民の「反乱」現象についてあれこれ(2)

 前回は枕で終わってしまったが、今回は本編。前回の話は忘れてこっから読んでもらった方が良いかも知れない。前回は脱線し過ぎた。

 さて、農村での集団抗争事件についてである。農民の集団抗争事件というもの自体は実は人民公社時代からあることはあった。もっとも人民公社時代の抗争事件というのは農民の水利権争いとか宗族間の抗争とか、そういう牧歌的な伝統的「分類械闘」の延長上のものである。それが90年代に入ってからは基層政権、基層組織に対抗するものとした性質を帯びるように変化して来た、というのが一般的な見方である。*1

 80年代は戸別生産請負制が実施され、取りも直さず農村の所得は急速に増加したし、相対的に農民の負担が軽減された時期であった。一方でまた、「党政分離」の議論が盛り上がり、政治改革を推進するという中央の意向のもと、農村においては人民公社にかわって郷鎮政府が、生産大隊に変わって村民委員会が組織され、村落レベルでの「村民自治」が開始された。村民委員会の主任(村長)の直接選挙による選出という内容も含む村民自治の実施はある程度の幹部と農民の関係緩和に役立ったと言える。*2

 ところが、90年代に入ると農村の所得増加は速度は低下し、改革開放政策の深化に伴って農村における利害関係が複雑化する。これに伴い幹部と農民の関係の矛盾、緊張が集団抗争事件の引き金となるケースが増加するようになった。(暴力を伴った)集団抗争事件に発展するケースに限らず、基層政権に対するサボタージュや「上訪」などの陳情活動の発生は農民の利害関係を政治的にフィードバックするメカニズムが欠如していることに起因する。

 主として、政治的な参与の仕方としては「体制内参与」と「体制外参与」とに大別される。「体制内参与」とは、投票、選挙、信訪*3、幹部への直訴、検挙、投訴、行政訴訟などであり、「体制外参与」とは人間関係を通じた参与、接触、賄賂、座り込み、請願、抗議活動、デモ行進、ストライキ、暴力衝突などがある。*4直接的な暴力衝突に目が行きがちだが、農民の異議申し立ての方法は他にもあるわけだ。

 記憶に新しい広東省大石村の村長罷免要求なども先ずは「村民委員会組織法」に基づく村長罷免手続きに依って土地売買を巡る不正を正そうとした事件であった。農民は先ず「依法抗争」(法に依った抗争)を試みているわけであり*5、集団陳情、デモと言った「体制外参与」の手段に移行したのは当局がこの「体制内参与」を認めなかったためだ。実のところ多くの農民の抗争事件というのは、「体制内参与」→「体制外参与」という過程を経ていると考えられる。*6
 
 蕭唐鏢は農民の異議申し立て手段をコミュニケーション型、強制型、敵視型の三つに分類している。*7コミニュケーション型とは個人主体の信訪のようなかたちでの問題解決のであり(広義に「依法抗争」も含めてよいかと思う)、強制型というのは大規模な、ある種の興奮状態での集団陳情、集団での基層組織の取り囲みなどのかたちなどであり、敵視型というのは暴力衝突発展する事態となる。農民の異議申し立てはコミュニケーション型→強制型→敵視型と段階を経て発展していく。

 農民の異議申し立て、というと中国の様な独裁国家では政府に対して敵対的な行動と思われがちだが、信訪や「依法抗争」の様な中央の政策や法律、重要文件を正当性の根拠とするという手段は、ある意味において省、中央と言った「上級」への農民の「信任」の現われということも言える。故に基層における幹部、農民関係の矛盾が直ちに中央への異議申し立てとはなるわけではない。国家は社会の信任と権力の正当性の確保を必要としてるわけであり、社会は国家の許容しうる範囲で利益を最大化しようとする。ある部分では国家と社会は敵対するのではなく、相互に依存しているのだ。*8

 無論、コミニュケーション型で問題の解決が図られない場合は、強制型、敵視型へと向かうわけで、農民の集団抗争事件が党権力にとって全く影響の無い事件とは言えないだろう。しかし、局地的な基層レベルでの抗争事件が直ちに中央レベルでの国家体制の動揺に繋がるかは更に注視する必要がある。農民の組織化が大規模なレベルで進行するのであれば、それは現状の党-国家体制を脅かすものとなるのだろうが。*9ちなみに、Prasenjit Duaraの村落横断的な文化ネットワークによる農民の組織化という考え方は非常に興味深いのだがどうだろうか?(参照)また、農民の「依法抗争」が基層当局に阻まれるというのは、権力に対するチェックアンドバランスのメカニズムが欠如した独裁体制ゆえであるということに鑑みれば、中央としては徹底した弾圧か、さらなる政治空間の開放かの選択を迫られる時が来る可能性はある。個人的には後者の場合は漸進的なものになるように思われるが。

 何れにせよ、この農民の「反乱」が基層レベルでの利害闘争を超えて、中共権力の正当性を問う動きにどう変化していくというのは中国の政治体制を巡る動きの中で大きなキーポイントとなるのは確かだろう。

 色々書いてみたが、あんまり目新しいことを言ってるわけじゃないような気がしてきた。隊長、失敗しました。

*1:例えば、賀雪峰、「依法抗爭−當代中國農民抗爭的特點及成因」『明報月刊』、2002年3月、蕭唐鏢、「二十年來大陸農村的政治穩定狀況」『二十一世紀雙月刊』、2003年4月

*2:無論実施レベルで様々な問題があるし、恣意的な運用も見られる。或いはこれは新たな農民の動員ではないか、党権力の強化に使われているのではないかという議論もある。村民自治に関しては詳述すると大変なのでここでは述べない。村民自治に関して包括的に書かれたものには、徐勇、『中国農村村民自治』、武漢:華中師範大學出版社、1997年などが良いかと。

*3:信訴:文面による陳情、上訪:直接陳情

*4:前掲、蕭唐鏢

*5:「依法抗争」の概念に関してはKevin O'Brien、Li LianJiangなどが詳しい

*6:無論、統計など無い

*7:前掲、蕭唐鏢。原文では「溝通性」、「迫逼性」、「敵視性」。

*8:ある識者が「国家と社会の共棲関係」と言うのはこういう状態であろうか。

*9:ポーランドの自由労組運動など漠然とイメージしてしまう。中国で西側の様な市民社会が生まれるか?というのは一つの大きな問題だろう。まあ色々な議論があるが。