「侠」或いは秘密結社についての断片的メモ

 朋友N′s氏曰く「まとめられない文章はメモってことにすりゃいいじゃまいか」という素晴らしいことを言っておられるので早速マネすることにする。(参照

1-1

侠:
 子分をかかえて仲間どうしで協力する人たち。男だて。結社をつくり法に従わないが、義理がたい風骨を持つとして、中国では評価された。そうした人間を個人でも侠という。「侠客」「任侠」「遊侠列伝」。(『漢字源』)

1-2

侠:
 いわゆる任侠の風は戦国期に起こり、特に集団的に行動していた墨家の末流が、いわゆる兼愛的行動をとって墨侠とよばれた。都市に人口が流れ、他所者がふえると、氏族的秩序や伝統的な共同体的体制が失われ、私交をもって縄張りを張る任侠の徒が生まれる。古代の亡命者は盗(盜)、盗の都市生活者が侠であったと考えてもよい。(白川静『新訂・字統』)


1-3
 漢和辞典を調べてみたらこうあった。諸橋轍次の『大漢和辞典』も調べてみたが何やら難しい原典がずらっとあってよく分からんかった。「侠」というと黒道(暴力団、犯罪組織)を思い浮かべがちだが、「結社をつくり法に従わない」という点がその肝であろうと思う。ということで、中国で「侠」といえば、秘密結社が思い浮かぶわけである。で、適当に「中国の秘密結社」でググって見たところ、こんな説明が出てきた。


2-1

 一般に秘密の入社式を伴う会員制の組織や団体をいう。秘密結社は入社式を重んじる秘儀的秘密結社,政治的目的を有して地下活動を行うような政治的秘密結社および犯罪を目的とする反社会的秘密結社に三分することができる。入社的秘密結社は,結社への加入に際して入社式を施し,会員が組織内部の位階に応じた秘儀を通過していくこと自体に結社の存在理由をみいだしている。この種の結社のなかには,そうした儀礼のみを秘密にし,結社の存在・集会場所・教儀・会員氏名などは隠そうとしないものもある。(中略)中国の入社的秘密結社は,天地会の流れで 哥老会を含むホンパン※注1※にしても,羅教のチンパン※注2※にしても,西欧の秘密結社にみられる相互扶助的機能と相通ずるものをもっている。ただ,中国の秘密結社の多くは,白蓮教徒や義和団事件の長髪族などのようにしだいに政治的行動に走ったものが多い。
http://www.tabiken.com/history/doc/P/P156L200.HTM


2-2
 清末から民国にかけて秘密結社なり秘密宗教が中国史に与えた影響は少なくない。拝上帝会、白蓮教、義和団、天地会、小刀会、青帮、紅帮などなど。革命組織にその影響力を色濃く持っている組織もあり、民国政府の高官に青帮の親玉がいたりするぐらいである。それらは上記の分類でいけば、秘儀的秘密結社であったり政治的宗教結社であったり、あるいは両者と反社会的秘密結社の結合であったり、ギルド的な結社であったりと様々であるが、一義的には相互扶助的機能というのがそれら結社の求心力になるのだろう。
 
 人々は何故に結社するのか。上述の『字統』によれば、「都市に人口が流れ、他所者がふえると、氏族的秩序や伝統的な共同体的体制が失われ、私交をもって縄張りを張る任侠の徒が生まれる。」と説明している。伝統的共同体、氏族的秩序による庇護を受けられない、或いはそれらの構造が崩壊したが故に、人々は結社の相互扶助機能に救済を求めるわけだ。いつだったか、中国人の秘密結社について研究している学者の話を聞く機会があったが、彼の説明も中々に興味深いものがあった。改革開放以後、中国では様々な社会矛盾が表出している(その話を聞いたのはもう何年も前のこと)。貧富の格差の拡大、社会主義共産主義という価値体系の崩壊、絶えず競争に晒される市場化の波、人口の流動化。こうした社会背景の下で、改革開放の恩恵から見放され、法の庇護の下におかれない人々を吸収しつつ、結社や宗教が急速に復興している、というのがその要点であったかと思う。法輪功中国共産党に「邪教」認定されている)の拡大は言うに及ばず、仏教の復興、地下教会の隆盛などは、心の救済を求める人々が増大している典型的な例であろう。*1

2-3
 前に紹介した『中国激流』(参照)に農民問題専門家の于建糝の指摘を引用したこんな文がある。
 

農民は費用取立てなど負担が重過ぎるため、地元政府としばしば摩擦を生じる。「負担を減らせ。腐敗役人に抗議する」といったスローガンを叫び、集団で抗議を行うことも珍しくない。負担軽減を政府に要求するため、「負担軽減組」といった自発的な組織を作り始めている。
 これらの組織は、秘密結社のように口頭でメッセージを伝達し、文字による記録は残さない。紀律は厳格で、メンバーの役割も責任者もはっきりさせない。政府から「非合法組織」と見なされるからだ。

 農村の統治能力が低下するなか、政府から独立した自衛・生産互助・宗族(同じ先祖を有する父系血縁集団)などの組織もできつつある。兄弟会・同門会・減税救国会などの秘密結社が生まれ、堂々と「帮会」(秘密結社)と称している場合すらある。こうした組織は、革命前の伝統的な組織の特徴をそなえ、明確な政治目標をもっているものもある。*2

興梠一郎、『中国激流―13億のゆくえ』、岩波書店、2005年

3-1
 国家・社会関係という考え方がある。国家と社会の関係性のなかで、政治体制や社会のあり様を考えようという分析枠組みである。一般的な理解として(異論もあるが)、中共政権成立後、中国は党=国家体制により、党組織(すなわち国家)が社会のあらゆる組織に浸透し、国家が社会を全面的に政治征服するという体制が現出した。しかし、改革開放以後、市場経済原理の導入により、国家と社会の関係性も変容しつつある。無論、中共が党による一元的な支配、一元的な価値体系の構築を放棄したわけではないという条件の下でではあるが、社会のある部分においてはその自律性が高まっているのも事実である。西側の歴史を顧みれば、社会に現出した自律性は市民社会を形成し、やがて国家をして市民社会の基盤の上に国家が存立する民主主義体制に変容せしめた。中共は上述のような宗教組織、秘密結社を悪しき勢力として、これに弾圧を加えているわけだが、こうした社会に出現しつつある自律的な組織は、あるいは清末民国初にその萌芽が見られた中国的な意味での「市民社会」復興の表れなのかもしれない。それは恐らく西側の「市民社会」とは異質だし、異なる発展をたどるのだろうが。

3-2
 ここで注意しなければならないのは、歴史の連続性と歴史の非連続性という問題であろうかと思われるが、眠くなったのでとりあえず寝る。

*1:教会関係者に地下教会の様子を記録した映像を見せてもらったことがあるが、その映像は中々に感動的なものであった。生活は苦しく、貧しさから抜け出すことも出来ない。しかし、集会で他の信者と賛美歌を合唱することで救われると話す信者には、信心深くない私もほろっとしたよ。地下教会って何をやってるのかって、集会で賛美歌を歌ってるぐらいなのだが、集会の時には当局の弾圧を恐れて常に見張りのものが立つのが印象的であった。

*2:新書本ゆえに出典が明確ではないが、于建糝、「中国农村的政治危机:表现、根源和对策」『中国農村研究網』、http://www.ccrs.org.cn/article_view.asp?ID=3458に上述引用部分と同じ文章がある。また今は亡き『戦略と管理』誌で「負担軽減組」に関する于の文章を見たことがある。于の文中にある数百、数千、時には万にも達する農民の動員力とその行動様式には「侠」を感じる、というのが私の感想(「客観的事実」は知らん、感想ね)。