経済的な左右のイデオロギーはどう政治に絡むのか?

 前回のエントリー(参照)で中国における改革派と保守派(新自由主義vs新左派)の論争がどうも激しくなってるっぽいという話をしたのが今回はそれをどういう政治的な文脈で理解したらよいのか考えてみたい。

 前回コメントでkaikaji先生からの御指摘。

私もこの辺についてはよくわからないのですが、例えば政争というとよく「胡錦涛派」と「江沢民派」の対立、と言う方がされますね。で江沢民路線は胡錦涛よりもっとゴリゴリの市場主義だ、というのが一般的な理解だと思うのですが、この会議の参加者の多くは別に反胡錦涛というわけではないですよね。むしろ胡政権を支えながらより市場志向的な改革を進めていこう、という立場のように思えます。そうするといわゆる「胡か反・胡か」という派閥対立は「右(新自由主義)か左」かというイデオロギー対立とそのまま重ならないわけで、それが外から見たとき非常にすっきりしない原因になっているのではないでしょうか。むしろ二元的に対立の軸を設定した方がいいかもしれません。例えば、この会議の出席者は政治的には「親・胡」でイデオロギー的には右(新自由主義)であり、いわゆる「上海閥江沢民派)」は「反・胡」で「右」、そしていわゆる左派は「反・胡」で「左」、とこのように整理してみると、少しはそれぞれの立ち位置がわかりやすくなるかなと愚考する次第ですが、いかがなものでしょうか。参照

 胡錦濤派と江沢民派という政治的な対立を前提とするのなら、胡錦濤路線より市場主義的傾向の強かった江沢民時代と親和性の高いと思われるいわゆる「新自由主義者」という人たちは、胡錦濤と特に対立しているわけではなく、であるならばイデオロギー的な立場の違いが果たして政治的な対立関係と関連しているのかというと疑問がある、ということかと思う。

 これを図に起こしたのが[親・胡か反胡かの対立軸]である。確かに上述の指摘の通り、特に「新自由主義」の立場の人が明確に胡錦濤と対立しているわけではない。しかしながら、「親・胡」で「新自由主義」というのは、日本でいうと亀井静香竹中平蔵が同席してニコニコしているような違和感がある。実際に、新社会主義農村建設だとか、富の再分配などの話題に関しては「新自由主義」の立場の人の話は「調和の取れた社会」とか、「科学的発展観」がとか言い出して途端に具体性を無くすような気もする。政治的な強力な背景も無しに現政権の掲げるイデオロギーを批判するというのも学者や政府関係者には荷が重いであろう。

 そこで取り敢えず、新自由主義派も一つのアクターとして、いくつかのアクターとともにその立場を図示してみた。それが[図1:イデオロギー分布概念図]、[図2:政治勢力分布概念図]、[図3:相関概念図]となる。

新自由主義市場経済原理の徹底した推進、政治体制の改革には積極的
長老グループ右派:胡耀邦に近い人たちだったグループ
軍部急進改革論:軍の国軍化、体制改革、弱者層の救済(by劉亜洲)
胡錦濤的発展観:「調和の取れた社会」「新社会主義農村建設」、政治体制改革に関しては党内民主程度
江沢民的発展観:「三つの代表」、上海(沿海先進地域の経済成長)、政治体制改革に関しては党内民主程度
訒小平的発展観:「先富論」「改革開放」、政治体制改革に関しては一党独裁体制絶対維持
新左派:社会主義体制の護持、政治体制改革に関しては一党独裁体制絶対維持

 という様なイメージでそれぞれのポジションを考えてみた。こう考えると、新自由主義派というのは必ずしも江沢民的発展観そのままではない。両者を分けるのは政治体制改革に積極的かどうかという点。また、所有権の問題などに関しても、新自由主義派と比較してそこまで経済的に右かという点に関しては疑問がある。その点に鑑みて政治勢力分布を概念的に捉えたのが図2、図3になる。

 それで、新自由主義者が「親・胡」か「反・胡」かとう問題だが、それは自身のイデオロギーに基づく路線をどの派閥が実行してくれるのかというのに尽きるような気がする。その意味で現政権を担い、一応は党、政、軍を掌握している胡錦濤に表立って敵対しないという選択をしているのに過ぎないのではないか。一方でそれぞれの派閥は自らの正当性の軸足をどこに置くかで、それぞれのイデオローグと同盟関係を結ぶかというのが決定されるのかも知れない。胡錦濤の動きに関して言えば、「親民姿勢」を掲げ、弱者層への資源分配を考慮してみせるのはマトリックスの第三象限、第四象限へのベクトルを感じさせるし、胡耀邦の再評価に色気を見せるのは第一象限へのベクトルを感じさせる。マトリックスの中心あたりはどの方面からもある程度の支持は期待できるが、何とも言えない玉虫色とも言え、中途半端感が漂う。あるいは「十一五規画」の何とも言えない中途半端感はそういうことなのかも知れない。そうなると党内闘争におけるイデオロギーの重要性などを強調していた私などはどうしたらいいのでしょうかwまあ現状では考える材料が少な過ぎるというのもあるが、個人的にはこの左右の論争が政局になる予感が捨てきれないんだよなあ、中国現代史をおもんばかるに。

 しかし、こうして見ると第四象限に軸足を置く勢力とかイデオロギーって無いな。敢えて言えば軍部のアレな人たちが一番近いが・・・平成の御世に隣の国で昭和維新断行の叫び声は聞きたくないもんである。

これ、あとで加筆するかも知れません。