踊る中共の権力核心−権力闘争はいよいよその核心へ?(1)

 中共の権力核心周辺の権力闘争は、隠微なサボタージュ、人事を巡る陣取り合戦といった段階から、いよいよ路線闘争と自らの主張するイデオロギー同士の衝突へと突入しつつあるようだ。中国的な政治文化にあっては、路線闘争とイデオロギー論争は常に権力闘争を進める上での車の両輪であった。イデオロギー論争での勝利こそが自らの党内権力における正当性を担保するのだ。天才的なイデオローグでありプロパガンダの操縦者であった毛沢東中共権力のカリスマであったこと、訒小平文革後の復権を果たすに際して、華国鋒を追い落とした「実践派」と「凡是派」の論争。現在の中共もその例外ではない。

 ちょっと前に反体制系のサイトで流れた中央政治局での路線闘争を伺わせる文章をご紹介したい。勿論、その文章の性格から眉に唾して読むべきだが、昨今の政治状況を考えると非常に興味深いので。

『中央政治局分裂の噂』

 伝えられるところによると7月下旬、黄菊は政治局常務委員会議の席上にて上海市党委員会の「一致した意見」を伝達した。「もしまだ我が国が社会主義の初級段階にあると認めるのならば、我が国の現在の社会主義は平均主義を行うべきではない、我々は平均主義の実施に旗幟を鮮明にして反対することによってのみ、現段階の社会主義経済建設を安定的に発展させ得る。小平同志は我が国の社会主義経済建設と発展に一筋の確かで前途のある光明を指し示した。それは先に一部の人々を富ませることで、まず安定的で手堅い経済中の基礎を建設し、その後に点を面へと全国に向かって広く輸血していくことであった。ここには二つの意味が見出せる。一つは「有先有後」(先があって後がある)、もう一つは安定的で手堅い経済中の基礎を建設から始めることである。小平同志の指し示した路線に鑑みれば、中国の現段階は平均主義を実施する状況にない。我々は中央の領導同志に中国の貧困地区が急速に行政手段を以って平均主義を実現しようとすることを刺激すべきではないと考える。我々は良き均衡と良き方向に注意すべきだ。さもなければ我々の多年に渡って築いてきた経済発展の成果は一朝にして潰えるだろう。その時、我が党の執政能力は強化されないばかりか、却って弱体化し、尚且つ更に大きな挑戦に直面するだろう。」

 また別の説の内容というのも驚くほど似ている。だだし、伝えられている内容というのは上海市党委書記の陳良宇が中共中央政治局委員会に送った手紙の内容ということだが。

 また、別の説によると、今年の7月下旬、8月初旬に李長春が政治局常務委員会会議の席上、胡錦濤と宣伝に要求される性格と政策の問題を巡って激烈な論争があったとの説である。李長春は「私の思うところは全て話す。話し終えれば私は退席する。」と言ったという。彼は話し終わると退席した。李長春胡錦濤に対して言ったというのは伝えらるところによると、「総書記同志は宣伝を社会安定に有利になるよう用いるべきだと強調する。社会不安の要素の爆発を助長させるべきではないと。私は諸手を上げて賛成だ。現在、至るところで我々を批判する宣伝媒体が緊縮された。私は当然にこの種の批判に同意しない。私は私の考えを反す。私が話すのは私の考えるところだ。私の思うところは全て話す。話し終えれば私は退席する。現在、我々の党の領導幹部、我々の党がコントロールする口舌は、宣伝において社会の安定と社会不安の要素を爆発を助長させることにおいて不利である。我々は我が国経済改革を探求し前進させる宣伝をすることを強化していない。我々は改革開放以来の我が国の巨大な経済発展の成果を宣伝することを強化していない。反対に、ある一部の人々、特に一部の我々の党の主要な領導幹部は、我が国の改革開放以後に発生した貧富の二極化を強調し、沿海の経済発展が比較的早い地域の発展が早すぎる、生活が奢侈に過ぎることを誇張し、行政手段を以って沿海の経済発展が比較的に早い地域でいわゆる調節を進めるべきだと強調している。更に、我が国に依然として広大な貧困地区が存在していることを社会不平等であると強調している。わが党のある一部の指導者はこの種の地方に出かけていって泣いて見せたりする。これは貧困層に革命を扇動することと異なるところは無い。また我が党の執政能力を強化することに有利とはならないし、沿海の富裕な地区で革命を騒がすものだはない。これは、我が党が第十一期三中全会以来の安定的な経済改革が築いてきた全ての巨大な革命の成果を騒がすものだ。これは危険なものである、これは我が党が認めるべきものではない。」、というもの。

 李長春のこの話には幾つかの異なる説があって、その中の一つが言うには李長春胡錦濤と論争した後に、自分は政治局常務委員に留任し続けるのに適さないと表明したというもの。またある説によれば、李長春は面と向かって胡錦濤を叱責して、「誰が訒小平同志の改革路線を否定しようとしているのか、誰が反党なのか。」と言ったという。また別の説によると、李長春がその他の政治局常務委員たちに対して、「共産党は現在執政党だ、執政党は貧困層に革命を唆すべきではない、誰が貧困層に革命を唆しているのか?私は彼の反対党だ。」と語ったというものだ。

 一般に信じられているのは、胡錦濤共産主義理論の信奉者で、同時に権力を自身に集中させるために官僚の腐敗、経済発展の不均衡がもたらした社会の不平等などの問題を利用しているということだ。漸進的に、そして慎ましく慎重だが絶え間なく前任者の江沢民が抜擢した官僚に圧力を加えている。更に、自らの信頼するものを中央と地方をコントロールする重要な職位に就けている。ある人はこの種の話が伝えられるという事実こそが中共中央政治局常務委員会がすでに公にも分裂していることを示していると考えている。

(以上、朱学淵「【学渊点评】《传中央政治局分裂》」『新世紀』2005/08/23
http://www.ncn.org/asp/zwginfo/da-KAY.asp?ID=65470&ad=8/23/2005
より引用)

 さて、ここではもっともらしく語っている人が何で政治局常務委員会議の内容を知っているのよ?と突っ込んではいけない。中国では古代から項羽の死に様とか、劉備諸葛亮の草盧対の内容とか、お前見てきたのか?という位に正確に歴史書に書いてある。楚軍は全滅したのに誰が伝えたんだとか、劉備諸葛亮は二人きりで語り合ったのに(ウホな妄想禁止)何でその内容知っているんだとか、そうした突っ込みは無粋である。状況証拠的にそういうことがあったのだろうと思えば面白い方を採用するのが中国人の人情である。上の文章はそういう「物語」的な文脈で読んでおくのが無難だ。事実かどうかはわからないし、確認のしようもない。世間の人はさもありなんと考えている、または実際に確認することが出来る情報とどれだけ符合するのかの参考にする程度で丁度良いかと思う。欺瞞を目的とした情報には少しの事実が含まれているものだ。全くの嘘なら信じる人もいないが、少しの事実が含まれた嘘なら信じたくなるのが人の性。一々それを検証したり、情報を虚構と事実とに分解して再構築する、というのは国とかの偉い人の仕事なので偉い人に任して、ここでは思考の材料としてこれを提供するに留める。勿論、確認出来る事実を提示して私なりの見立てを述べるが、各人にもネタの再構築する楽しみはあるはずだ。大体においてネタ元を明示してその再現性を担保しているのもそのためである。む、話がずれた。何の話だっけか?

 それはともかく、上述の政治局常務委員会議での議論の内容がそのまま事実であるかはわからない。しかし、そこで述べられているような路線対立を伺わせるような事実なり分析というのは数多く出てきている(参照1参照2とか)。二つの路線を単純化すると、一方は経済成長至上主義。また地方への考え方としては沿海の経済発展を全中国の経済成長の牽引役として引き続き沿海地区を重視。これらの主張の正当性を担保するものとしては、訒小平理論(「先富論」、「社会主義初級段階論」など)、「三つの代表」論が考えられる。もう一方は、経済の過熱化を抑制するマクロ経済調整政策と発展段階の不均衡の是正を重視する立場。この主張の正当性を担保するために唱えられているのが「和諧社会」建設論である。この「和諧社会」建設論というのはイデオロギーの理論化という点ではまだ迫力に欠けるように思う。そこに飛び込んできたのが胡耀邦の生誕90年を記念する行事の開催、出版物の刊行を党中央がプッシュというニュースである。

 報道によると、「5日の中国系香港紙・文匯報は、1987年に「ブルジョア自由化」を放任したとして失脚に追い込まれた胡耀邦・元総書記の生誕90年となる今年11月20日に合わせ、中国当局が胡氏の記念大会を北京で開く見通しだと報じた。事実なら、89年の胡氏死去後、当局が初めて行う胡氏の本格的な記念行事となる。」とのこと(註1)。さて、この動き。上述の路線対立と胡耀邦が失脚した過程と誰が彼を失脚させたのかを考え合わせると中々に剣呑な含意を持つように思われるが。その辺はビールも回ってきたので次回に。

 つうか、馬立誠は『交鋒―Episode 2』の執筆準備をしておくように。嘘だけど。

(註1)「失脚した胡氏生誕90年、当局が「記念行事」見通し」『読売新聞(Yahoo!ニュース)』2005/09/05