農民の「反乱」現象についてあれこれ(2)

 前回は枕で終わってしまったが、今回は本編。前回の話は忘れてこっから読んでもらった方が良いかも知れない。前回は脱線し過ぎた。

 さて、農村での集団抗争事件についてである。農民の集団抗争事件というもの自体は実は人民公社時代からあることはあった。もっとも人民公社時代の抗争事件というのは農民の水利権争いとか宗族間の抗争とか、そういう牧歌的な伝統的「分類械闘」の延長上のものである。それが90年代に入ってからは基層政権、基層組織に対抗するものとした性質を帯びるように変化して来た、というのが一般的な見方である。*1

 80年代は戸別生産請負制が実施され、取りも直さず農村の所得は急速に増加したし、相対的に農民の負担が軽減された時期であった。一方でまた、「党政分離」の議論が盛り上がり、政治改革を推進するという中央の意向のもと、農村においては人民公社にかわって郷鎮政府が、生産大隊に変わって村民委員会が組織され、村落レベルでの「村民自治」が開始された。村民委員会の主任(村長)の直接選挙による選出という内容も含む村民自治の実施はある程度の幹部と農民の関係緩和に役立ったと言える。*2

 ところが、90年代に入ると農村の所得増加は速度は低下し、改革開放政策の深化に伴って農村における利害関係が複雑化する。これに伴い幹部と農民の関係の矛盾、緊張が集団抗争事件の引き金となるケースが増加するようになった。(暴力を伴った)集団抗争事件に発展するケースに限らず、基層政権に対するサボタージュや「上訪」などの陳情活動の発生は農民の利害関係を政治的にフィードバックするメカニズムが欠如していることに起因する。

 主として、政治的な参与の仕方としては「体制内参与」と「体制外参与」とに大別される。「体制内参与」とは、投票、選挙、信訪*3、幹部への直訴、検挙、投訴、行政訴訟などであり、「体制外参与」とは人間関係を通じた参与、接触、賄賂、座り込み、請願、抗議活動、デモ行進、ストライキ、暴力衝突などがある。*4直接的な暴力衝突に目が行きがちだが、農民の異議申し立ての方法は他にもあるわけだ。

 記憶に新しい広東省大石村の村長罷免要求なども先ずは「村民委員会組織法」に基づく村長罷免手続きに依って土地売買を巡る不正を正そうとした事件であった。農民は先ず「依法抗争」(法に依った抗争)を試みているわけであり*5、集団陳情、デモと言った「体制外参与」の手段に移行したのは当局がこの「体制内参与」を認めなかったためだ。実のところ多くの農民の抗争事件というのは、「体制内参与」→「体制外参与」という過程を経ていると考えられる。*6
 
 蕭唐鏢は農民の異議申し立て手段をコミュニケーション型、強制型、敵視型の三つに分類している。*7コミニュケーション型とは個人主体の信訪のようなかたちでの問題解決のであり(広義に「依法抗争」も含めてよいかと思う)、強制型というのは大規模な、ある種の興奮状態での集団陳情、集団での基層組織の取り囲みなどのかたちなどであり、敵視型というのは暴力衝突発展する事態となる。農民の異議申し立てはコミュニケーション型→強制型→敵視型と段階を経て発展していく。

 農民の異議申し立て、というと中国の様な独裁国家では政府に対して敵対的な行動と思われがちだが、信訪や「依法抗争」の様な中央の政策や法律、重要文件を正当性の根拠とするという手段は、ある意味において省、中央と言った「上級」への農民の「信任」の現われということも言える。故に基層における幹部、農民関係の矛盾が直ちに中央への異議申し立てとはなるわけではない。国家は社会の信任と権力の正当性の確保を必要としてるわけであり、社会は国家の許容しうる範囲で利益を最大化しようとする。ある部分では国家と社会は敵対するのではなく、相互に依存しているのだ。*8

 無論、コミニュケーション型で問題の解決が図られない場合は、強制型、敵視型へと向かうわけで、農民の集団抗争事件が党権力にとって全く影響の無い事件とは言えないだろう。しかし、局地的な基層レベルでの抗争事件が直ちに中央レベルでの国家体制の動揺に繋がるかは更に注視する必要がある。農民の組織化が大規模なレベルで進行するのであれば、それは現状の党-国家体制を脅かすものとなるのだろうが。*9ちなみに、Prasenjit Duaraの村落横断的な文化ネットワークによる農民の組織化という考え方は非常に興味深いのだがどうだろうか?(参照)また、農民の「依法抗争」が基層当局に阻まれるというのは、権力に対するチェックアンドバランスのメカニズムが欠如した独裁体制ゆえであるということに鑑みれば、中央としては徹底した弾圧か、さらなる政治空間の開放かの選択を迫られる時が来る可能性はある。個人的には後者の場合は漸進的なものになるように思われるが。

 何れにせよ、この農民の「反乱」が基層レベルでの利害闘争を超えて、中共権力の正当性を問う動きにどう変化していくというのは中国の政治体制を巡る動きの中で大きなキーポイントとなるのは確かだろう。

 色々書いてみたが、あんまり目新しいことを言ってるわけじゃないような気がしてきた。隊長、失敗しました。

*1:例えば、賀雪峰、「依法抗爭−當代中國農民抗爭的特點及成因」『明報月刊』、2002年3月、蕭唐鏢、「二十年來大陸農村的政治穩定狀況」『二十一世紀雙月刊』、2003年4月

*2:無論実施レベルで様々な問題があるし、恣意的な運用も見られる。或いはこれは新たな農民の動員ではないか、党権力の強化に使われているのではないかという議論もある。村民自治に関しては詳述すると大変なのでここでは述べない。村民自治に関して包括的に書かれたものには、徐勇、『中国農村村民自治』、武漢:華中師範大學出版社、1997年などが良いかと。

*3:信訴:文面による陳情、上訪:直接陳情

*4:前掲、蕭唐鏢

*5:「依法抗争」の概念に関してはKevin O'Brien、Li LianJiangなどが詳しい

*6:無論、統計など無い

*7:前掲、蕭唐鏢。原文では「溝通性」、「迫逼性」、「敵視性」。

*8:ある識者が「国家と社会の共棲関係」と言うのはこういう状態であろうか。

*9:ポーランドの自由労組運動など漠然とイメージしてしまう。中国で西側の様な市民社会が生まれるか?というのは一つの大きな問題だろう。まあ色々な議論があるが。