皇甫平「改革を動揺させてはならない」を読む

 前回触れた皇甫平の評論だが、政局がらみじゃなくても中々面白いことが書いてあったので、皆さんと「享受」すべくざっくり翻訳して見た。現在、中国国内で論争の焦点となっているのはどういう問題なのか、というのが大まかに見えてくると思う。なお、文中の脚注は訳者注ということで。翻訳間違えてるところがあったらコメント欄ででもお知らせ下さい、訂正いたします。

 中国はまた歴史的な曲がり角に至った。全面的な小康社会*1の建設が進展する中、我々は国内矛盾の突出と国外摩擦の多発する時期の重なり直面している。社会には新たな改革を否定し、改革に反対する思潮が出現している。彼らは改革の過程において出現した幾つかの新たな問題、新たな矛盾、西側の新自由主義を信仰することの悪しき結果を取り上げて批判し、否定し、恰もまた改革は「姓社姓資」論争に立ち返ったようである。

 我々は歴史と現実、理論と実践の両者を結合させて正確に現代の問題を観察し、分析しなければならない。

 前世紀の80年代末90年代初頭に、改革開放の否定は反動的な思潮の横行として世間に知られた。この歴史的に重要な局面において、訒小平の「計画経済は社会主義とイコールではない、市場経済は資本主義とイコールではない」、「姓“資”と姓“社”どうちらが重要かという問題だ。判断の基準は、主として社会主義の生産力を発展させるのに有利か否か、社会主義国家の総合国力を増強させるのに有利か否か、人民の生活水準を引き上げるのに有利か否か、を見るべきだ。」、「中国は“右”を警戒する、しかし主としては“左”を防止する。」 という発言でその行方は定まった。

 当時、江沢民を核心とする党中央は、十四大において訒小平の南巡講話の重要精神を全面的に貫徹執行し、改革開放と現代化建設を推進し、新たな歴史的な発展段階へと進んでいった。中国の今日がすばらしい局面にあることができ、広範な人民大衆が安定して幸福な小康生活を過ごせるのは、我々が一所懸命に社会主義市場経済体制改革を進めてきたことと密接な相関関係にある。

 市場化の方向での改革は巨大な成果を挙げたが、当然にまた不可避な新たな問題、あらたな矛盾を生み出した。現在のところ大衆の間でそれが比較的強烈に反映されているのが、貧富の格差、地域間の格差の拡大、生態環境の悪化、深刻な権力の腐敗、社会治安の混乱から、衛生、教育、住宅改革中に出現した、医療費、住宅費の高騰、就業困難などの問題である。胡錦濤を総書記とする党中央は時局の進展と実行的に問題を解決する精神に基づいて、科学的発展観によって全体の局面を統率し、和諧社会を構築する計画に努力することを打ち出している。これはその本質において訒小平理論及び「三つの代表」の重要思想を継承するものであり、改革を堅持することによって、改革によって出現した新たな問題を解決するというものである。更に改革を深化させ、開放を拡大し、健全で完全な社会主義市場経済体制を確立することで、徐々に都市と農村、地域間、富裕層と貧困層の格差の問題、経済発展と社会発展の調和の問題、経済社会発展と生態環境保護の問題、対外開放と対内発展の調和の問題、これらの問題を解決する為の統一された計画を案配することができるだろう。

 一部のものは改革によって出現した新たな問題、新たな矛盾の全てに市場化改革のゆえであると罪を着せるが、改革に動揺し否定することは、明らかに片手落ちであり、誤ったものである。経済体制の方向転換という歴史的な背景の下で、多くの矛盾は主として市場経済が未成熟であり、市場メカニズムの作用が十分ではないことによって引き起こされた。これは決して市場経済市場メカニズム自身の欠陥ではない。貧富の格差の問題は、市場化によって一部の者が先に富めるものとなったからというものではなく、市場化の過程で権力を手にするものが介入し、一部のものが他者の犠牲の下に急速に富を手に入れたということに起因する。行政権力の助けを借りて富を得て、弱者層に損害を与えたというのは、正に旧体制の弊害がもたらしたものであり、どうして市場化改革に罪を着せることができよう。

 社会の富の分配が不公平であるという問題の形成と拡大は、改革の誤りではない。それとはちょうど反対で、改革が障害に遭遇し、深化させるのが困難であり、予定通り進めるのが困難であるがゆえの必然的結果なのだ。その中でも重大な障害は、既得利益層が改革全体の効率を「部門利益」、「地方利益」に変質させることにあり、「権銭交易」*2を阻むことなくますます深刻なものにしている。歴史が既に証明しているように、「ある部分を先に富ませる」というのは英明で戦略的な政策決定であり、「効率優先」は旧体制を突破して、生産力の解放を喚起するのにあたって、重要な役割を果たした。一部の者が富を得ただけでなく、社会全体の豊かさは「水が漲って船も高くなる」ように一人当たり1500米ドルに達し、貧困人口も当初の三億人強から現在のところ2000万人まで減少した。これは改革開放の全体の「効率優先」の旗幟の下、「公平」が実現できることを表わしている。貧富の格差の縮小は人為的に富を得ることを抑圧することではなく、平等な権利の保護と貧困層が豊かになる速度を速めることでなされるべきだ。改革の目的は豊かなものを貧しくすることではなく、貧しいものを豊かにすることである。「仇富」感情は貧富の格差の縮小を何ら助けるものではない。これは寧ろ共同富裕へと向かうのに不利である。そしてこれは現代工商文明の簡明な道理なのだ。

 当面、大衆の日増しに増加する公共インフラ*3への需要と、同時に公共インフラの供給不足と、低効率の間の矛盾は、すでに中国社会の主要な矛盾の主要な部分となっている。公共インフラは政府が民衆に提供する社会サービス、例えば教育、文化、住宅、医療衛生、社会就業、社会治安、生態保護、環境安全などを指している。言い換えれば、「碗を持って肉を食う」という温飽問題解決以後、「箸を置いて母ちゃんを罵る」という話だ。*4何を“罵る”のか?土地が徴用されるのを罵るし、古い住宅の取り壊し移転を罵るし、教育医療費が高すぎるのを罵るし、住宅が高くて買えない、仕事が見つからないのを罵るし、腐敗官僚が多過ぎる、司法の腐敗を罵るし、治安が乱れすぎである、安全の保障が何ら無いことを罵るし、情報が不透明で不対称であり、やり方が民主的でないことを罵る、などなど。これら全ての問題は、正に社会の公共インフラの供給不足の問題だ。民衆はますます効率の高い、廉潔な、平等に参与し得る、公平透明な公共領域を求めている。

 明らかなのは、改革中の多くの問題と矛盾の真の焦点とは、体制の方向転換という時期にあって行政権力が市場化、分配に参与することによって不公平が生じることにある。行政上の資源(特に公共インフラの供給)の構造上、権力市場化は社会の富の占有と分配の不公平の突出した要素となる。権力市場化はまた改革本体が生み出した深刻なねじれである。そもそも市場原理を発揮すべきではない領域で、市場化を利用した金儲けのための「偽りの改革」が出現し、一方で強力に市場化を推進すべき領域での市場化改革の歩みは困難なものである。

 土地の市場化を例にとれば、地方政府は土地使用権を持つ者を交易に参与する権利から排除し、自らが直接市場交易の主体となっているようだ。一方で、地方政府と土地開発業者は最大の受益者となっている、土地使用権を持つ農民や一般住民の利益は損害を蒙っている。近年来、都市での住居取り壊し移転と農地徴用の一部は大量の民事紛争を引き起こし、これは地方政府の土地の徴用と土地に関する市場化の間の矛盾を深刻に反映している、政府の土地に関する市場化におけるあるべき機能と権力の執行手続きの欠陥を反映している。

 改革が進行する過程で出現した問題は、その深層において体制的な要因を示しているし、特に行政管理体制と相関関係にある。20年来の中国の改革は、多くの部分において技術上の現代市場経済のやり方を模倣したに過ぎず、市場経済制度の本質を取り入れたというものは数少ない。特に市場改革が停滞して後は、経済体制改革の問題に留まらず、政治体制、社会体制、文化体制などのそれぞれの方面に改革問題の要素は波及している。それ故に、五中全会で通過した中央の「十一期五ヵ年規画」に関する建議書の中で、政府の行政管理体制改革は改革に関する各項目の中でトップに上げられている。また先に政府の市場の壟断と専権の問題を解決することが、市場化改革に道筋をつけ、市場経済の完備を推進することとなる。機能面から言えば、政府は市場にあっては利益主体から公共サービスの主体に変わらなければならいし、公共資源、公共インフラの公平で、公正で、公開のもとで民衆にサービスの分配をし、市場の各主体が平等に競争できるような市場環境の創造に力を注がねばならない。

 中国は正に体制転換するにあたっての重要な時期にある。またこれは社会構造が大変動する時期でもある。利益主体の多元化、思想知識の多様化により、改革を深化する過程で利益関係は調整される必要があるし、遭遇する抵抗は必然的に大きくなる。改革の深さ、広さ、難度、複雑さは増加している。そして、我々が思想上に受けた伝統的社会主義理論と計画経済の影響は根深く、往々にして形勢の変化についていけない。問題に行き当たるとイデオロギー的な極端な判断をしがちで、問題を改革のせいにする。あるものは個別の事例で改革の全体の局面を否定するが、それは責任ある態度とはいえない。

 我々は更に思想解放を進め、独立した思考と判断をし、断固として科学発展観に基づいて全体の局面を統率し、全面的に改革を推進し、動揺することなく、歩みを止めることなく、ましてや後退するべきではない。新自由主義を批判することによって改革の実践を否定することは、その根本において中国の改革の歴史を否定するものだし、訒小平理論と「三つの代表」の重要思想を否定することでもある。改革は更なる完成が必要であり、市場経済は成熟する必要がある。しかし、30年近い改革開放の実践は既に一つの不朽の真理を証明した。それは、社会主義こそが中国を救うのであり、改革こそが社会主義を救うというものである!改革開放を堅持していくというのが人心の一致したところであり、市場経済の発展は大勢の赴くところ、経済社会の発展を加速することは衆望の帰するところである。時局にあわせて更に思想を解放することは避けて通れない道である。

皇甫平「改革不可动摇」『財経』総151期、2006年1月23日
http://caijing.hexun.com/text.aspx?ID=1500542

 色々と政局がらみでも妄想できそうな材料であるが、もう少しこのネタは寝かしたほうがよさそうではある。背景には党中央での路線対立とその路線に正当性を付与するイデオロギー上の論争があるであろうとはいつもの読みである。しかしこの皇甫平の評論文だが、個人的には前回紹介した『亜洲時報』ほど明確に胡錦濤よりと判断できないでいる。私がこれまで考えていたのは、胡錦濤の提唱した「科学的発展観」、「和諧社会」の建設という路線とイデオロギーは、上述の皇甫平のエッセイにあるように、改革によって生み出された「新たな問題」、「新たな矛盾」に対応するために出てきたものなのだろうが、一方でそれは経済成長率至上主義でそうした社会問題、社会矛盾を生み出した江沢民時代へのアンチテーゼともなり得る。貧富の格差の縮小、という問題に関して言えば富の再分配が必要になると思うし(富裕層と貧困層、都市と農村、地域間いずれも)、胡錦濤の路線で行くとそうした手法への親和性が高いかと思われる。しかし、皇甫平の文章ではどうも市場化の徹底という方向で論じられている。一方で、医療費、教育費の高騰の問題がでてくるが、実はこれ江沢民時代に病院と学校の独立採算制を強調したのが原因という面もある。どうも政治的文脈上は微妙。案外、全く関係ないという読みが一番正確なのかも知れないw。

 この文章、結構反響が大きいようなので色々とリアクションも出てくるんじゃなかろうか。リアクションが出てからのほうが妄想の幅が広がると言うものだ。もう少し材料も欲しいし。

*1:衣食住の最低限の生活水準を満たした段階の社会

*2:権力と金銭の交易。即ち収賄と利益供与の関係

*3:原文では「公共品」。公共サービスや暗には政治体制までも含む概念と考えられるので適訳が思いつかなかった。ここでは公共インフラと訳す

*4:原文、「端起碗吃肉,放下筷子骂娘。」意味は人間、腹が満たされれば、色々意見を言いたくなるという意味の俗話らしい。この俗話は社会問題を論じる際によく引き合いに出されるよう。温飽問題という最低限の生活問題が解決された後には、社会の側から色々な要求が出てくるようになるということを言いたいのだろう。