劉亜州について

 この記事は『大紀元』に転載されていた王怡による劉亜州を批判したエッセイの全文訳である。ソースが『大紀元』ということからも分かると思うが、全体に現体制に対する不信と軍人の政治干渉に対する強い警戒感の現れた文章である。私個人としては未だにこの劉亜州なる人物がどの様な人物なのかという評価が出来ていない。一見したところ作家崩れの軍事ロマンチストと言った感じだが、政治に対しての発言などをみると胆力も有るようである。実際に彼の行動が政治に影響を及ぼしたとされるのは、一連の「対日融和政策」批判なわけだが、その影響力のほどは不明である。軍人の力の淵源というのは物理的な暴力を動員できることであって、自らの思想を発表したりすることではないかと思う。無論彼の思想が凝集力となって実際に部隊を指揮する立場にある人たちが集まればその影響力は大きいものだろう(北一輝青年将校という様な関係が連想される)。そういう文脈で、この人は軍部内でどれだけの影響力を持っているのだろうか。また、王怡の危惧するように、こうした軍人の「政治干渉」が常態化して行くのは確かに危険である。しかし、個人的には劉亜州という人はネットの盛行がもたらしたトリックスターという感が拭えないというのもある。最後の方で見つけてきたネット上で拾える彼の文章などを集め見たが、本当に彼の著作かどうか怪しいものも有ったりする様だ。でも焦国標の「中央宣伝部討伐」見たいな例もあるからなぁ。現状を告白するとわけわかめというところです。この辺がネット上でタダでネタを集めてる限界か。やはり判断材料としては実際の行動に勝るものはないので、劉さんにはこれからも事件を巻き起こしてもらうのが一番です(ん?)。

 なお、下記、王怡「 劉亞洲和大陸的軍國主義危險」『大紀元』の訳文中に作者の本意と異なる点や不明瞭な点があった場合は拙訳を行った私の責任に帰すものであります。より仔細に読み込みたい場合は原文をご参照ください。、

王怡「 劉亞洲和大陸的軍國主義危險」 『大紀元』5月16日

王怡「劉亜州と大陸の軍国主義の危険」『大紀元』5月16日

当代の林立果に期待?

 最近、作家出身の中国空軍副政治委員、前皇帝の女婿(国家主席李先念の女婿)劉亜州中将は、中共党内で注目される大胆な発言者であり、軍内における少壮派の鋭利な人物となっている。特に今年に入って二つの事件があった、一つ目が1月に彼が昆明軍区で行った講演『信念与道紱』がネット上に流れた後の、内外の輿論と注目を引きつけ、そして何より多くの人を驚かせた件だ。二つ目が最近の大陸での反日のうねりの中で、劉亜州などの軍内グループが「中日関係青年検討会」計画して胡錦濤に阻止されたというものだ。彼を首班とする10名の将校が連名で発表して呼びかけは、外に対しては強硬政策を求め、内に対しては政治改革の推進を求めた。この一挙は近年来の国内民族主義憤慨青年たちの彼に対する「親米親台」との攻撃をひっくり返すものだった。劉亜州などの軍内の若手は、逆に国内の反日のうねりの中にあって標榜し後ろ盾の存在となったのだ。

 64虐殺後、権力の座にあった「党内民主派」は灰となり飛び去り煙となって消えた。中共党内の異議申し立て層、左派原理主義の訒力群などの人物や或いは右派で自由主義に近い李鋭、李慎之、朱厚沢などに係わらず、その全てが辺縁勢力として追い立てられた。16年来、中共党内の実権派の人物、たとえ朱鎔基の様な直言を憚らない人物でさえ民主派とうぬぼれるようなことはしなかった。ただこの劉将軍が公に米国の民主制度を激賞し、党内の腐敗と専制を批判して、政治体制改革を提言した。さらには彼は太子党の権勢にありながら、軍内外に全ての中国人が敢えてしない、また公の場では敢えて触れない敏感な話題を次々と発表して、さらにははっきりと名前を挙げて或い名指しはせずに毛沢東江沢民胡錦濤などの人物を批判したのである。
 
 彼は『中國改革的得與失』の中で、ますます政治の圧力が多くなっており、輿論のコントロールと秘密警察統治、底辺層の抗議活動への弾圧、社会組織活動の消滅と知識分子の政府批判に対する圧力は、「1999年以来当局の主要な統治方式」になっていると批判している。この種の口ぶりは異議申し立て人士のものと軌を一にするものの様だ。これが劉亜州の声望を軍隊という大庭を越えて急速に社会に広まらせた。人々は党内、それも軍部内に民主派がいると感じ、改革派の再出現を感じたのだ。自由主義知識人の一部もこの種の仮想に惑わされて、劉亜州を「太子党の反逆」であると褒め称え、劉亜州を太子党または職業軍人の身分ではなく知識分子の立場として見なすべきだと読者に訴えた。(樊百華『值得關注的劉亞洲』)

 年の初め、ある人が私に成都軍区の一包みの内部書籍を送ってきた、中身は劉亜州の5冊の本で、『西部論』、『農民問題』、『甲申再祭』、『廣場――偶像的神壇』、『胡耀邦之死』というものであった。それに加えてネット上で広く流れている『大国策』、『美国論』などである。私は刺激分の強さを我慢しながら彼の大部分の政論を読み終えた。しかし、少しも樊氏が言うような喜びの言葉が溢れてくるということは無かった。樊氏は劉の中に蒋彦永医師の勇気を見たし、ある人は劉の中に趙括の影を見た、何か新しい匂いが鼻につくようだ。而して私は最も現実的な考えは、中共太子党中共の空軍にまた一人の林立果が出現したというものだ。

 30年前の空軍作戦部長、林彪の子である林立果を忘れてはならない、彼は実際あの時代に最も早く覚醒した一団の一人であった。彼は私の父よりも更に早くアメリカを好きになり、独裁に反対し、ジョン・レノンのロックとハリウッド映画が好きだった。それ故に彼は私の父より早く専制を敵とする気持ちを持っていた。林立果の『571工程紀要』は、共産中国にあって逸早く政治改革を提言し個人崇拝を批判した文章だが、覚醒の程度は、実際我々が当時敬仰した知識人より更に高いものだった。毛沢東林彪を批判するためのいやいやながら発せられたこの紀要は、しかしながら当時の人を啓蒙する文章になったのである。

軍人の政治干渉夢想

 歴史は繰り返す。言論封鎖の十数年後、窓を打ち破る大胆な呼びかけが党内で再び起きた、しかも軍部から、それも空軍内の、空軍の太子党内からである。このことと劉亜州の考え方もはからずも一致している。政治体制改革を語るとき、劉は繰り返し「中国の希望は党内にある、党内の希望は中央にある、中央の希望は上層にある」と強調する(『大国策』)。軍隊を語るとき、彼はまた二つの点を強調する、一つ目は中国社会の本当のエリートは、「大部分が軍隊にいる」。地方は腐敗官僚であり、中団以上の軍隊がエリートである、たとえ役に立たない様に見えても、「それは間違いなく偽装だ」という。二つ目は、彼はまた、より発達した、より文明的な国家にあっては、米国や欧州の様に「その軍隊はより保守的な力」であると考える。一方でより文明の程度が高くない国家においては、「軍隊はより改革の力」であるとする。彼はパキスタン、韓国、フィリピン、アルゼンチン、チリ、ブラジルなの国を例に挙げている(『信念与道紱』)。そして、64虐殺とベトナム戦争を中国軍の改革時代の為になした二つの大きな貢献であると見なしている。

 そして劉亜州が挙げているこれらの国家は、ひとつの例外も無く、軍事の政治干渉の結果民主化を完成したものだ。これこそが正に劉亜州を理解する為のキーである。劉は彼の夢はマーティン・ルーサー・キングとは違うと言い、彼の夢は強国強軍の夢であるという。我々の中で誰が強国の夢を持たないものがいるだろうか?しかし区別すべきなのは、第一に我々の自由に対する夢は強国の夢よりも大きいのだ。これが自由民主を追求するものと空軍政治委員劉亜州が一線を画する所だ。第二に、我々は自分で夢を実現する、軍人が我々に代わって夢を実現することとの間には天地の差がある

 身分の積み重ねもまた劉亜州現象を読み解く一つの鍵だ。彼を一人の知識分子として理解することは、ある種の最も単純な誤りだ。劉亜州の本質は軍人である。彼の中国社会に対する考えは軍人の域を出るものではない。彼が自分自身の言論を弁護する為に言っている様に、台湾問題に対する見方に異なったものがあるのは確かだが、ただし軍事委員会が開戦を命令すれば、彼は機械と同じ様に絶対服従するであろう(『我願意做自由思想的殉道者』)、彼の語る物語の戦士の様に、朝鮮の戦場で生きながら凍死するも一言の悲鳴も上げないだろう。これは彼の入り混じった自己の身分に対するある種の弁解だ。これは自分が異なる政治的な意見を発表する時は一人の知識人で、自分が戦場にあるときは一人の絶対服従の軍人であるという意味である。それ故に彼は64虐殺中に抗命した38軍軍長徐勤先や、28軍軍長何燕然とその「くそったれな」政治委員を激しく憎むのである。しかし、これは実はロジックの混乱した詭弁だ。軍人が絶対服従は、戦場だけに止まらない。自由思想殉教する者と絶対服従の軍人、この間には根本的な自己矛盾がある。彼は抗命する軍人を「くそったれ」だと考えているが、彼に比してもさらに意志の動揺しない軍人の目に、彼のそうした軍人の倫理に反する大逆無道の論には、何ゆえ「くそったれ」を使わないのか。

 それ故に劉亜州の全ての思想には色々な混乱が充満している、新と旧の捏ね合わせ、左と右の跳躍。理論の素養がよろしくない外に、最も根本的な問題は役割の混乱だ。そう以前でもないが私ともう一人マスメディアの友人で劉亜州を訪ねたことがある。我々が討論していた時、友人の上司が冗談を言って、君はまず彼に将来大統領になりたいか尋ねたらどうだ?と言った。私はこの話はもっと技術的に聞くべきだと言った、中国の伝統政治の理想にあって、軍人、后妃、宦官は皆政治に介入するのを許されないものだ。「それにしてもあなたは公の知識分子になりたいのか、それとも将軍になりたいのか?」彼の発言が一体知識分子の身分のものなのか、それとも現役の高級将校の身分のものなのか、それが最も重要だ。なぜなら、後者は軍人の政治干渉の始まりを意味するからだ。

 もし民間が民主化を推し進める主力となり得ないなら、党内貴族の一部の分裂に頼るしかない。そしてもし党内の文官系統が力のある改革派を形成し得ないなら、最終的に少壮の軍人集団に頼るしかなくなる。軍人から政治改革の最も強い声が叫ばれるのは、一つの時代の悲劇である。これはまた中国が百年来繰り返し経験した悪夢でもある。軍隊の少壮派の出現、これは正に今日が1989年に比しても厳しい局面にあることを示し、以前の日本軍国主義の台頭もまたその教訓の一つであり、さらにはアジアとラテンアメリカ民主化の過程で軍人の政治干渉が頻繁に出現した一つの根源だ。二十数年の思想啓蒙を経て後、少しばかり劉亜州の観念上に自由知識人と似たところを見つけて、或いはそのような考え方が軍内の高層から出たことを見て興奮する。私はそれは政治上の最も幼稚な考え方だと思う。

国家主義崇拝

 以前に消息筋が言うには、一度研究会の席上、ある将校が学者に向かって将来政治的な動乱が生じた場合、軍がそれを収束させる可能性についての質問がでた。軍隊の要素は、終始中国の民主化の進捗にとって大きな隠れた病巣である。そして我々はこの隠れた病巣に対して評価する能力にずっと欠けている。少なくとも劉亜州以前、市民は軍部内の将校が将来の制度変容に対してどのような見方をしているのか全く知らなかった。そして、劉亜州が公の分野で自分の立場を公表し急速に台頭してくると、軍内の知識層を代表するものは彼らの将来の制度変容に対する政治的な意見を公に発表することを開始したのである。

 ある意味において、民衆は軍隊が自らの思考能力を具えることを、あたかも一丁の銃、一台の機会が思考能力を具えるのを見る様に恐れる。我々と共産党も同様で、いかなる時も文官体系(たとえ共産党の文官体系だとしても)が軍に対するコントロール力を失うのを欲しない。市民の見るところ、最も理想的な局面というのは、どのような情勢で制度変遷がなされようとも軍が中立を保持することだ、台湾の軍隊が民主変容期にあの様に自我を抑制したように。学者は将来自らの意志を合法的な文官政府の下に従属させるのだ、臨時性の合法政府のどこを恐れるのか?

 しかし、劉亜州などの「太子軍」の出現は、軍が自ら思考することを始めたという意味を持つ。軍内に対するこのある種の独立思考能力を鼓舞しその存在を暗示することを意味する。このある種の独立思考能力は、軍事の国家に対する熱狂的な愛と、彼らの強国強軍の夢に由来する。今日、専制は一切の価値の有る事物のボトルネックを作り上げた、その中には軍隊も含まれる。劉亜州は甲申の年清朝が入関した際を回顧して、「専制は戦いに敗れた、甲申の敗北はこの一点において敗北した」と悟った(『甲申再祭』)。一人の抱負を持った軍人が最終的に認識するに至ったのは、国家は強盛でなけらばならず、軍隊もまた強盛でなければならず、専制は民主に変わらなければならないというものだった。軍人は手に銃を取り、未来に対しては党内の文官体系に比してもはっきりと勇気と想像力を持ち、「政治体制改革が最大の安定である」と言うのだ(『大国策』)。2004年の『甲申再祭』の中で、劉亜州は「この200年の我々中国人の弱さはすなわち制度の弱さであり、敗北もまた政治制度の敗北だ」と痛感している。2005年10名の将校は反日強国の呼びかけの中で、またこの一句を原文を参照して用いているようだ。

 しかし、劉亜州などの軍人はロボットが覚醒するのと同じように、必ずしも歓迎に値するものではない。第一、百年の循環を経ても、この種の民主観はしかしながら甲午海戦後に維新派が西洋の制度を道具化した様な理解の上に留まるものだ。劉亜州の思想を一言で言えば、民主を強国強軍の道と考えている。強国強軍である、個人の自由が彼の民主の夢の実質ではないのだ。これでは少し悲しいではないか、冤罪を行くこと百年、自らを真のエリートと恃む太子党の傑出した人材が、いまだに民主が自由を圧倒する旧い道に執着している。

 これは職業軍人の必然的なロジックなのだ。なぜなら軍隊と個人の自由の間に、民選政府が欠けているからだ。軍隊と政府の違いはここにある、軍隊はは選挙を通じて組織することが不可能なのだ。その合法性は文官政府にのみ負っている、直接分散した民衆からそれを獲得することはできないのだ。もし一つの成熟した民選政府があれば、軍隊は思考する必要がないのである。劉亜州の言い方を使えば「軍隊は政治的には保守である」。それ故に少壮軍人の覚醒と改革の呼びかけは、中共の政治的合法性の危機を導く反応だ。中共の政治腐敗とイデオロギーの崩壊は軍が正当性を満たす理由を与えられない、軍内の有識の士は独立思考を始め、自分が自分に合法性を提供するのだ。この理由は個体から来るのが不可能な以上、抽象的な国家によってのみもたらされる。軍が絶対忠誠に値する政府を持たないとき、軍隊は抽象的な国家を選ぶことになる。国家利益を大げさに誇張することによって、対外強硬を主張して民衆の支持を勝ち取る。これが劉亜州思想中の国家主義崇拝の根源である。

 この種の国家権威主義に覆われた民主の夢にあっては、一般民衆の自由の夢を敵としている。国家の絶対神聖と軍人の絶対服従の下、自由が強国のために有利であれば自由は与えられる、自由が強国に不利ならいつでも殲滅されるのである。軍人たちの民主観は永遠に国家至上であり、道具論と機会主義のものだ。これはなぜ劉亜州が民主を主張し専制に反対する一方、また64虐殺を頑として守るのかを解釈するものだ。なぜ彼は「西洋の自由化は民主を導き、東洋の自由化は暴乱を導く」と考えるのか。なぜ彼は思想の多元を主張しながら、また一方で「信仰を営み、文化を整合し、国家精神を統一することが当面の急務である」と強調するのか(『大国策』)。なぜに彼は宗教と道徳を重視しながら、また一方でチベット問題の本質を毛沢東主義を放棄したことがチベット人ダライラマ信仰に回帰させたことと考えるのか。なぜ彼は中央集権が地域性の要素を重視することを批判しながら、新疆とチベットの省境をばらばらに分けることを提議して、チベット独立、新疆独立に対処しようとするのか(『西部論』)。

 実際劉亜州の民主論は、訒力群の左派民主や激進民主に近い。李慎之、李鋭などの右派民主とは違う。彼の基本的な立場は国家主義であり、民族主義的で機会主義的なものだ。劉亜州は道徳と信仰の力を強調する、そしてそれは原理主義的な道徳理想国の匂いを帯びている。彼は訒小平の政治の知恵をあらん限りに崇拝しているが、市場化の氾濫と私有権が憲法に記入されることには左派と軌を一にして批判している(『中国改革的得與失』)、そして、社会主義の価値目標に対しては批判も反省もしていない。彼は自由、憲政、そして法治に対する理解に乏しい、彼のいわゆる政治体制改革は一に民主分権であり、二に精励して国を良く治める、「わが党の執政地位」の強化で、この二者は不可分なものなのだ(『大国策』)。

軍国主義の悪夢

 反日のうねりの中で、日本の軍国主義復活を憂えるというのがその正当性の理由の一つであった。しかし悲しいことに、今日の日本は政治制度と国内の政治勢力の構造から言っても、世界中のどの大国よりも軍国主義からは最も遠いようだ。そして中国こそがあらゆる大国の中で軍国主義との距離が最も近い。この様な背景のもとで「劉亜州現象」と軍人の政治干渉の潜在的危険性を評価しなければならない。なぜなら簡単に挙げていっても、目下の軍国主義症候群を無数に並べることが出来るからだ。

 第一に、中国は全世界でも最も軍事刊行物が盛んに発行されている国家だ。中学生の全てが『兵器知識』、『航空知識』、『世界軍事報道』などを呼んでいる、そしてそれぞれの武器やそれぞれの国家の軍事制度の諸々を話すのが好きなのだ。これらの刊行物に加えて軍のコントロールする大量のニュース媒体は、90年代来、大陸青年の民族主義の狂熱と、反日、反米、反台の激情を扇動し育て上げる一つの重要な温床となっている。

 この他にも、中国はまた全世界で最も軍事的な語彙を用いるのが盛んな国だ、人々は日常生活中で軍事語彙を模倣し、行政機関も軍事語彙と軍事管理を模倣している。全ての大学生、甚だしきに至っては中学生までもが軍事訓練に参加している。「建軍節」の影響と規模は軍隊の範囲を超えており、各地の党政部門はみんな記念活動を組織し挙行する。中央広播電台、中央電視台は毎日大量の軍事番組を放送している。軍隊はまた世界で最も巨大な作家隊伍、芸人隊伍を擁している。毎年の春節パーティー上、少なくとも三分の一の芸人が軍隊から来ている。中国はまた制限なしに、甚だしきは組織して児童に戦争の場面の映画を見せる国家の一つだ。

 第三に、中国は世界で唯一の一つの軍区が行政区画と重なり合っている国家だ。これは軍隊の地方行政に対する統括支配の地位をもたらしている。一切の軍区は実質的には全て警備区であり、一切の軍隊は実質上全て武装警察である。それ故、長期に渡って「党、政、軍」が等しく地方当局と呼ばれてきたのだ。あるいは四大班子、五大班子という言い方がある。中国はまた数少ない、都市に軍隊が駐留している国家の一つだ、軍は各地の大都市に大量の地産を擁しており、大軍区の所在している都市の最大の地主となっている。

 第四に、中国は世界で唯一国家元首と軍事の最高統帥者が分離している国家だ。国家元首には最高統帥者であるとの一つの含意がある。しかし、中国では、国家主席と軍事委員会主席の二つは憲法上の職位で分けられている。党治の実質は軍国化で、二つの職位が二人によって担任されているとき、全ての国家の文官体系は軍事専制の下に置かれるだろう。

 この他にも、中国は世界で唯一憲法上最高軍事統帥者の任期制限が設けられていない共和国である。国家主席は二期以上再任できないが、軍事委員会主席は再選再任が可能で、制限を受けない。

 第六に、中国は全世界で唯一現役軍人が民意代表を担任することが許されている国家だ。歴代の全国人大にあって、軍人は人民代表を担任するだけではなく、しかも軍代表は永遠に定員が最多の代表団だ。人口の最も少ない省の定員であっても軍の総数より人口は多いぐらいなのにだ。

 この様な局面の下で人々が日本軍国主義を懸念するのを見るのは、笑らえないし泣けもしない。そしてこの様な局面の下で、劉亜州などの少壮派将校が社会や政治の話題に介入するのを見るにつ尚更。彼らのスローガンは無論民主であり、法治であり、国家であり、民族である。彼らの急進的な声は皆危険なものだ。彼らの尊敬に値する正義感と愛国心を含む激情は、自由民主を渇望する人々が警戒しなければならないものなのだ。それ故私は劉亜州にインタビューする友人に注意を促したのだ、この報道をすれば必ずマイナスの効果があると。なぜならニュースが禁錮にあえば、全ての真相を言うことが出来ないし、劉亜州現象の背後にある軍人の政治干渉、或いは軍隊の力が政治改革を促進する危険性を示せないではないかと。それ故、彼の現役将校と知識分子との二重の役柄を質疑し、二重の倫理の間の衝突と混乱を質疑することが唯一可能な表現方法なのかも知れないと。もし劉氏をして自らの愛国と思弁の熱情を抑制して、身を屈めて自省させることが出来るのならば、軍人の愛国の道は政治中立の道であると認識させるのに外はないのだ。

 もし中国の民主化が必ずやって来るならば、最悪の方式は軍人の政治干渉と軍事独裁を経ての民主化だ。劉亜州の出現は、中国知識界をずっと心配させるが探求するに無力なこの問題を表面化させ始めた。我々は知識人だが、一つの口しか持たない。しかし劉亜州たちは違うのだ。彼らは口ばかり、銃を持っている。銃のほかにも政治貴族としての看板まで持っている。劉亜州が得意になって使ってる言葉を用いれば、「軍中に読書人の私がいる、読書人の中に軍人の私がいる」のである。劉亜州などの将校たちは軍内の知識人層における理想主義の充満ぶりを代表している、また軍内に淵源を持たない胡錦濤は、これを弾圧するという選択は不可能なのだ、そしてこれがロボットたちを更に普遍的な離反傾向へと向かわせている。それ故、もし民間社会と知識分子が党内改革派の前面を行くことが出来なければ、そして中共の文官集団の政治改革の力が少壮軍人集団の前面を行くことができないのならば、それではと軍のエリートたちは政治干渉を選択し、必ず中国の未来の民主変容は避けられない運命にぶつかるだろう。

2005-5-5
(本文系全本首發。其刪節本同時在香港《動向》刊發)
《觀察》
(http://www.dajiyuan.com)
本文只代表作者的觀點和陳述

(引用終わり)

メモ

引用記事中の劉亜州の政見に関する著作、講演録など見つけた範囲で

『信念与道紱』http://www.mlcool.com/html/ns002421.htm
『中國改革的得與失』(訳者注:この文章の作者は何清漣で劉亜州ではないとのこと
参照:http://www.boxun.com/hero/fanbaihua/32_1.shtml
『西部論』
『農民問題』
『甲申再祭』http://www.bjsjs.net/news/news.php?intNewsId=1700
『廣場――偶像的神壇』
胡耀邦之死』
『大国策』http://www.yannan.cn/data/detail.php?id=2884
『美国論』http://www.wforum.com/wmf/posts/4072377.html