ニュースメモ:太子軍の台頭

 最近、劉亜州に関する報道が『産経新聞』でなされたようで、劉亜州関連で検索して当ブログを見て頂く機会が増えたようだ。それでネタとしては6月11日の記事ということもあり古いが、大紀元の記事をご紹介する。勿論、大紀元の記事ということもあり、体制に対する反感と中国共産党内部の混乱を是とするベクトルが働いているが、その点を差し引いて、例えば「亜州週刊」辺りの呉儀ドタキャンに関する報道などとつき合わせていけば何か見えてくるものがあるかも知れない。前半の劉亜州に関する分析は以前に訳した王怡の「 劉亞洲和大陸的軍國主義危險」に沿った感じの内容なので省く(参照)。『産経新聞』の記事もこの王怡の文章に関連するネット上に流布している文章をまとめた感じの報道で、突っ込んだ取材を感じさせるものではなかったが(と言っても軍内の不平分子に関することなので突っ込んだ取材というのも不可能に近いだろうが)、今後の報道に期待したい。そう考えると情報の確度という点では疑問が残るが、法輪功恐るべしというところか。よくもまあ、軍関係とか、国家安全系統とか、そういうところの消息筋というのを捕まえているものだ。最近、海外での中国の情報機関、国安系統関係者の亡命騒ぎ相次いでいるが、どうも背後で法輪功が頑張ってる様な、そうでない様な。

 そういや、戦前に日本が中国で築き上げた情報網というのも可也のものだったと思うんだが、戦後それらはどうなったのだろうか。何か、戦前の軍人の日記に「対支工作につき紅卍会を利用出来ないか」云々と言う様な話があったような。雲散霧消したのか、アメリカ辺りに引き継がれたのかなぁ。やっぱ宗教団体とか秘密結社とか今でも隠然とした影響力を持ってるんだろうなぁ。つうか、話がずれたのでこの辺にしておく。



闻军「「太子军崛起挑战胡锦涛、少壮派闹兵变惊杀中南海」」『大紀元』2005年6月11日

「太子軍の台頭と胡錦濤への挑戦、少壮派のクーデター騒ぎは中南海を驚殺す」

党国は抗日を弄びかえってしくじる

 今年の3月末、4月初めに、胡錦濤は終に太子軍に迎合することを選択をした。共産過激民族主義愛国主義の扇動を利用し、急速に仇日感情を膨張させ、中共国内で日増しに先鋭化する社会矛盾を緩和し、「和諧、強盛」を建設するという共産国の強硬外交政策であった。世界は六四以後16年来中共が許してこなかったデモ行進が、忽然と中国各地に合法的に出現したことに驚いた。

 中南海の企図するところによれば、政府の指導する反日運動は日本の国連安全保障理事会入り反対と、日本教科書の改訂から着手し、中共国がアジア及び今日の世界において重大な影響力を持つ指導的な地位にあることを明らかにしようというものであった。それ故に、4月2日には、中共中央弁公庁、国務院弁公庁は電話会議を開いて指示を発した。それによれば、各地の反日活動は社会団体間での連帯を取らせないことを要求し、また、各地区、各界、各部門を越えた活動にさせないこと、さらに全国性の地域を超えた集会、デモにさせないことを要求していた。胡錦濤は特に各大学、専門学院の政治工作のリーダ、各公安国安の特務に指令して、自ら反日デモに参与して、直接に「運動の正常な発展」をコントロールし、いわゆる「不良分子」が潜り込むのを防止するように求めた。

 しかしながら胡錦濤共産党のリーダーのこの政治的な賭けは、開始早々に全面的なコントロール不能な状況を現出させた。すなわち、すでに抗共闘争術を身に付けた中共国人は、政府の指導する反日ショーを抗日と抗共の不満の捌け口へと変質させた。三回の週末に連続して、デモ参加はネットを使って連帯し、全共産国の二十近い都市で、総計数十万人が街に繰り出した。彼らは日本大使館、領事館を襲撃し、また警察との直接的な衝突も発生した。深圳では民衆が公安局長が指揮鎮圧するのも顧みず、「漢奸を打ち殺せ」とこれを追いかけてシュプレヒコールを上げた。彼らは沿道の日本資本の商店を打ち壊し、窓ガラスを破壊した。騒ぎを聞きつけた店員が急いで出てきて、商店は中国人が開いた商店だと叫ぶ場面も見られた。彼らは日本製品ボイコットを叫び、却って共産党のリーダや党国家に対して要求する有様であった。4月23日には、ネット上での呼びかけと声明、次々と一つ一つ伝えられ、多くが5月の長期休暇に全国民の抗日大デモ行進を挙行しようという呼びかけになっていった。この瞬間、中南海の匪賊の頭目たちは、中共国のこの抗日騒ぎを収拾するための一大逮捕に踏み切らざるを得なくなっていた。

  
 事実上、4月3日には、抗日民衆が街に繰り出し、中共のリーダーは既に好からぬ兆候を察していた。それ故に、4月4日から、共産党中央政治局、政治局常務委員会は社会各界の反日運動に関する緊急会議を三回開いた。そして、中共中央弁公庁、国務院弁公庁は更に三回の電話会議を開催し、三度文件を下達して局面のコントロールを図った。

 国安系統の消息筋によると、4月8日、党中央には非常設の羅幹を組長に、副組長に劉雲山周永康、王剛、李肇星からなる対日工作小組が成立して、反日運動のコントロール活動を始めた。また並びに、五人小組は事態の発展と敵対勢力の介入状況に関しては、直接に中央政治局常務委員会に報告することが規定された。これと同時に、4月8日にはまた、党中央は指示を下達した。それは、局限とコントロールの必要から、党政機関の幹部、国有企業の職工、レイオフ労働者、失業者、中学校の教員生徒が反日デモに参加するのを阻止しするというもので、その目的は全社会が党のコントロールで行われた大学生の反日デモの後に、コントロール不能な状況を導いて、抗日が抗共に変質することを恐れてである。
  
 正にこの理由から、4月10日、中共はまたも指令を下達して、天安広場、人民大会堂、新華門などの国家機関、広場での集会、行進、デモを禁止し、また外国大使館区域での集会、行進、デモ、夜明かしを禁じた。その後、4月12日には、中共中央は再び電話会談で、不良分子が混入し扇動して事を起こそうとするのを警戒する必要があること、境外の敵対分子の扇動、流言、紛糾を引き起こすことを警戒する必要があることを明確にした。そして4月下旬に至ると、上海、北京の党機関紙の論調は突然に変化し、次々と説諭を発表した。その内容は、反日民衆に「大局を重視すること」を要求し、「党中央が中日関係を宜しく処理することを信じる」必要があるとし、更には「大量の事実が証明しているが、最近に発生した非合法のデモは民衆の自発的な愛国行動ではない、背後には良からぬ策謀と陰謀が計画されており、その企図するところは恐るべき目的を達しようとするものだ」というようなものであった。

  
 事態発展の様々な痕跡は、中共が抗日民衆の大逮捕、大鎮圧を準備していたこと明らかにしている。公安内部の消息筋が認めたところによると、北京の警察は命令を受けて各単位に潜入して、十万人の抗日デモを組織する能力があるリーダー的な人物を調査した。そして上海では、特務は録画画像を比較対照して大逮捕を行い、4月下旬には、42名の街頭抗議の組織者を拘束した。続いて4月26日には、香港で登録されている、一貫して国外には国権の保護と、国内には人権の保護を主旨にしている保釣連合の北京総部が捜査を受けた。また、4月30日、黄金週の反日デモ組織者である郭飛熊と彼のデモ行進弁護士も突然謎の失踪を遂げた。胡錦濤反日ショウは、この様な無情な逮捕によって、鎮圧され収束していった。

胡氏の媚日はクーデターの危機を招く
  
 5月に入って、中共の元々日本に対して眉を吊り上げていた態度は、直ぐにまた過去の和解と親善というものに逆戻りした。五里霧中の様な中共国と日本の外交関係には、そっくり180度の大転換という、画期的な突然の変化が現れた。胡錦濤は小泉政府との関係を修復するため、媚笑外交を以て中共国務院副総理呉儀を意外にも東京に差し向け、日本首相と5月23日午後に会談する予定を組み、「中(共)日親善」を体現しようとした。

 胡錦濤の言行不一致は、劉亜州に代表される太子軍の激怒をもたらした。これらの少壮軍人は、本来胡錦濤が4月10日に彼らのあの「中日青年検討会」を取り止めさせたことに対して極度の不満を示していた。そして一ヶ月後に、共産中央は党国家の重量級人物である呉儀が自ら日本に赴いて謝罪を表わし修好するというのは、彼らの抗日強国の夢を全否定することであった。これにより、太子軍は党第四世代に対して完全に失望し、カードを切る決心をした。

 共産軍大院からの消息筋によると、少壮軍人は秘密集会を開き連帯し、胡錦濤に対して日本の軍国主義復活に反対し、第二次世界大戦の賠償を要求し、日本に占領されている領土の回復することなどの問題について明確に態度を表明するように強く要求した。さもなくば各軍の軍事委員会主席の更迭を呼びかける署名を集め、必要ならばクーデターという手段を使って胡錦濤に軍権を差し出させるという選択肢も放棄しないというものであった。消息筋によれば、ある激進的な太子軍人は軍内部で、当時のナセルは中佐の身分でエジプトの政権を奪取した、共産軍中に燦然と地盤を固める太子軍人であれば言うまでもない!というように豪語していたという。

 5月23日の早朝、胡錦濤は太子軍がクーデターを起こす可能性を知り、すぐさま東京の呉儀に5月23日午後に予定していた日本首相小泉純一郎との会談をキャンセルすることを通知した。その後、日本内閣官房長官は記者に対して、会談が中共側の要求でキャンセルされたと発表し、呉儀は緊急公務を処理するとして北京に引き返した。これに対して、中南海高層の動きを知る少壮軍人は、いわゆる「緊急公務」は政治局で緊急会議を開き、対日戦略を新たに検討するし、軍人を慰撫して、クーデーターを防止することだ、と指摘する。
  
 現在、胡錦濤反日と媚日の繰り返しの反覆は、共産軍中の強烈な反感を止められずにいる。しかも党内高層でも非難に遭い、中共が権力を掌握して55年後に出現した執政幼稚病と指摘されている。中共元老界隈から伝えられる消息によると、すでに軍元老の中には「胡主席」の指導能力に対する疑問もあり、彼らが言うには、胡錦濤の「盲動主義」は「投降主義」へと転換し、変化の速さが驚かれている、そしてそれは元々各種の政治危機と社会危機を処理するに無力であったことを明らかに示している。そしてずっと総書記と軍事委員会主席の玉座を垂涎して求めている上海閥は、当然この奸胡を攻撃する大機会を見逃すはずがない。彼らは胡錦濤反日は機会主義であり、媚日は投降主義であり、党の領袖としての気迫に欠けると指摘し、党中央の指導者の人選を新たに考慮する必要があると騒ぎ立てている。結論を一言で言えば、胡共産党頭目の紅朝の玉座は既に危ういものとなってきた、共産国の権力を巡る争いはさらに大きなニュースとなって暴露される可能性が大いにある。

  五月二十四日北京爱民街共产军大院传送
  中华评述 ◇(http://www.dajiyuan.com)

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6/11/2005 12:46:04 PM