中国農民の目覚め?

protesters
 
 写真は『RFA』より転載。勝手に転載もあれだが、多くの人にこの事件を知ってもらうほうがいいだろうという趣旨で敢えて。魚窩頭鎮政府の前で座り込む大石村の村民。


 前回触れた広東省番禺魚窩頭鎮大石村で起きた村民委員会主任(村長)を巡る村民と各種基層政府との抗争に新しい動きが出てきたのでこれを期にこの事件について多少突っ込んで事件のあらましと背景などを書いてみたいと思う。

 事件の話を始める前に村民委員会というのをちょっと説明したい。改革開放期に入って戸別請負生産制が始まると集団生産、集団農業の実践組織としての人民公社は急速にその存在意義を失っていった。しかし、人民公社は集団生産、集団農業の実践組織に止まらず、社会主義体制下にあっては行政組織、社会福祉の実行機関としての側面も持っていた。人民公社は農村において、単位社会と呼ばれるすべての人々が単位に所属しあらゆる国家資源をそこから分配されるという体制の一翼を担っていた。それが解体していくことの基層社会に与えるインパクトは想像に難くないだろう。ことに農村における集団財産の流失、管理不能状態の現出は農村社会を混乱させた。そこで中央は人民公社に代わって郷鎮政府、人民公社下の生産大隊に代わって村民委員会を建設するための法制化を急速に進めた。

 ここで注目すべきなのは郷鎮政府が従来型の上級政府と党委員会、郷鎮レベルの党委員会の指導をうける中央から地方へと広がるヒエラルキー的な行政組織とされたのに対して(註1)、村民委員会が法的にも「民主的な自治組織」とさらた点にある。こうした決定がなされた背景というのはあまりはっきりしない。天安門事件以前の80年代には政治改革の雰囲気が充満していたこと、あるいは改革開放期には村落レベルでの基層組織には専門的な知識や学歴の高い人材が集まらないために直接選挙に代表される「民主的な」制度でそのリクルートを図ろうとしたこと、あるいは農村において幹部と村民の間の矛盾が深刻化していたことから権力の正当性を再構築する必要性にせまられていたこと、あるいは農村においていわば「権力の空白」状況が出現したことへの危機感、などの可能性をあげることはできる。ただどれも後付のそれらしい理由ではあるが決定性に欠ける。政策決定過程論的な実証的な研究が待たれるところだが、中国だし資料が出てこないんだよなぁ。取りあえずは全人代での法制化過程を見ると彭真が影響力を持って主導していたようではある。

 さてこの村民委員会による村民自治の柱とされているのが「民主的な選挙」、「民主的な決定」、「民主的な管理」、「民主的な監督」とされるもである(註2)。あまり書くと冗長になるので止めておくが、「民主的な選挙」ということであれば直接選挙による村民委員会主任の選出であり、一定の有権者の署名による村民委員会構成員に対する罷免などであるし、「民主的な決定」ということであれば、村民会議による各種の村事業に対する承認などであろうし、「民主的な管理」ということであれば村民会議などを通じての自治章程、村民規約の決定であろうし、「民主的な監督」ということであれば村財務や村事業の村民に対する公開ということになるだろう。

 法律の条文、理念はこうした「民主的な」規定を設けているが当然にそれが実際にそのように運用されているとは限らない。それぞれの地方によって選挙の細かな実施細則は異なっており、推薦段階で上級政府、党委による絞込みが行われることもあるし(ここで好ましくないと思われる候補者は落とされる)、もっと露骨な選挙介入をする例もある。甚だしくは郷鎮レベルの推薦した単一の候補に選挙で承認を与えるだけという人代の判子押しのような場合もあるし、選挙事態を行わず郷鎮政府が直接に主任を派遣して村落レベルでの行政を代行させている事例もある。こうした運用は当然に様々な矛盾を引き起こしている。特に村民委員会と村党支部の関係、村民委員会と上級の郷鎮政府との関係にその矛盾が集中しているという感がある。選挙で選出されたという村民とって疑いのない正当性を持つ村民委員会は往々にして党や上級政府の指導に従わないということが起こるからだ。こうした問題を解決すべく村民委員会の主任と村党支部書記の兼任ということが進められているようだが、これだと何のための「自治」か分からなくる。まあ基層エリートの党へのリクルート、党の正当性の再構築という点ではそれなりに有効な手なのかもしれないが。「民主的な選挙」というイシュー一つをとってもこの有様である、その他の「民主的な」運営については押して知るべし。可也端折ったが村民委員会の説明はこの辺で。

 さて広東省番禺魚窩頭鎮大石村の事件だ。この事件の発端は村民委員会が行った土地取引に関して会計的に不明瞭な点を村民が見つけたことに始まる。村民委員会主任(以下、村委会主任)が処理した村の財務表には二十ヵ所を越す不明瞭な項目があったという(註3)。これに不満を持った村民は馮偉南という人物を呼びかけ人にして現村委会主任の罷免を求める活動を始めた(註4)。「村民委員会組織法」の規定によれば村民の五分の一以上の署名があれば村民委員会の構成員の罷免を提起することが出来る(註5)。ところが8月16日にこの馮偉南が村内をオートバイに乗ってどこかにいこうとしているときに、魚窩頭鎮政府が派遣したと思われる不審な車が拉致しようとしたことから事件は村民の集団抗争という事態に発展した。村民はこの不審な車の一行を包囲したのだが、午後五時半になると武装警察(防暴?)約500名が到着。村民との衝突に至った。報道によれば、7月の下旬には罷免のための動議を提出したとのことだが、その時は当地の派出所(鎮政府の出張所と思われる)と村民委員会は署名の受け取りを拒否、署名した村民には署名を撤回するように要求していたという(註6)。何やら土地取引に絡んで村民委員会と鎮政府が結託して不正を行っていた気配濃厚である。報道には触れられてないが村委会主任の選出過程にも鎮政府の介入があったのではないかという雰囲気も感じる。更には鎮政府は村の財務状況を審査するという名目で、村の財務表を持っていこうとしていたとのこと。村民の多くはこれを「証拠隠滅」と感じていた(註7)。というわけで、馮偉南はかなり前から鎮政府にも目を付けられていたようだ。それが、8月16日の事件に発展したというわけである。ちなみに、この時の村民と武装警察の衝突の模様は『自由亜洲電台』のウェブサイトにwmvファイルがうぷされている(註8)。

 この騒動では七名が逮捕され二名の村民が重傷を負ったが、馮偉南は辛くも逮捕を逃れた。
事件後の17日に彼は隣村の友人、陳さん宅に匿われていたが、昼食後に食休みしているところに二十名近い警官が突入して来た。陳さん夫婦は激怒して警察に逮捕に際しての手続きを踏むように要求し、その隙に馮偉南は裏口から逃亡。ちょうどその時激しく雨が降っていたため追っ手を撒いた彼はサトウキビ畑に七時間も身を潜めたという(註9)。

 その後、安全を確認した馮偉南はその場を離れ、法律家の郭飛雄との面会に向かった。この手際の良さからは、あるいは両名は以前から連絡を取り合っていたものと思われる。村民の「村民委員会組織法」上まったく合法的な罷免要求手続きなどをみているとそれなりの助言を与えたいのではないかと思われる。前回も書いたが、こここに私などは「農民利益代弁人」というある種のネットワークの存在を感じるのだが。あるいは、この馮偉南という人物がそれなりの教育を受けた人物なのかもしれない。ともかく、馮偉南は郭飛雄に自身と逮捕者の今後の法律的な弁護を依頼した(註10)。これを受けて郭飛雄は広州の法律事務所に助っ人を求める連絡をし、国内外のメディアに連絡をとったようである。学者まで来るし(註11)。

 さて、法律家の面々は主に国外のマスコミを巻き込みつつ番禺区公安の法務当局に掛け合う一方、中央の公安に「手紙による陳情」(上信)などを行う。しかしながら、現地当局は提出書類の書式が違う、手続き上問題があると言を左右にして法に則った処理を行わない。仕舞には当局から「公共の秩序を脅かす行動である」と脅迫される始末である(註12)。たとえ合法的に行動してもそれを独立した司法が判断するという体制にない中国の限界がこの辺にあるのだが、それでも話が大きくなれば中央の注目をひきつけて地方政府の態度を覆せるという可能性はある。大体、この手の法律(の建前)を錦の御旗にして当局と争う場合に穏当に解決される場合はこのパターンが多い。中央としても「学習活動」の材料とできるし、何より自信の布告した法律なり講話なり通達が無視されるているといのが広く宣伝されるのは権力者としての沽券に関わる。

 うむ、ビールが回ってきた。近所に結構うまい揚げ物の屋台を見つけた(註13)。それを肴にやっている。それはともかく、そういうわけなので法律家たちは村民にことの解決には数ヶ月かかると訴えた。ところが、村民としてはそんな長期に渡って村の財務表を死守しきれないと判断したようだ。そこで番禺区民政局鎮政府の前での座り込みとハンガーストライキを決行することを決定した(註14)。更に馮偉南を含む罷免署名活動に関わる三名が新たに逮捕されたことも関係しているかと思う。しかし、国外のメディアがそれなりに注目しつつある今、地方政府当局としても手荒な手段は取れないだろう。だからこそ、座り込みとハンガーストライキという手段にでて更なるアピールを狙ってるのかもしれない。村民側の参謀となってる人も中々に食えない人のようだ。

 最後に生臭い話を一つ。広東省では農村で集団所有している土地を自由に市場で売買できるようにする規制緩和条例が10月1日に公布される見込みとの事(註15)。タイミング的にアレな気がするが。他のとこでも土地に絡む抗争が起きてるんだよなぁ、広東省。生臭い話の核心に入っていくと、胡錦濤が「和諧社会」とか経済の過熱化阻止のために「マクロ調整」とか言ってる時期にこれですか。土地投機、農村の土地が流失を連想させるこの条例の公布というのも胡錦濤の唱えているお題目に反する気もするが。梅州の私炭鉱爆破というのも気になりますなぁ。「広東王」葉一族というのも今は昔の話だけど、この地方と中央の関係も気になる。深圳方面でも不況和音が聞こえてますなぁ。最後の方は脚注を付ける気力が残されていないので(2リットル目に突入)、その辺は興がのれば後日にでも。何れにせよ、この中央と広東省の温度差というのは大石村の村民には行幸かも。

(註1)無論、単純な指導、被指導という関係に収まらない上級と下級のバーゲニングというのもあるが党組織を通じた中央から地方に広がるヒエラルキー構造というのは前提としてあるだろう。
(註2)「村民委員会組織法」第二条。「村民員会は村民の自己管理、自己教育、自己服務のための基層民衆性の自治組織であり、民主的な選挙、民主的な決定、民主的な管理、民主的な監督を実行する。」
(註3)「廣州番禺村民因要求改選村委會主任與武警發生衝突」『自由亜洲電台』2005/08/17
http://www.rfa.org/cantonese/xinwen/2005/08/17/china_rights/
(註4)同上、『自由亜洲電台』(2005/08/17)
(註5)「村民委員会組織法」第十六条。「本村の五分の一以上の選挙権を有する村民の連名があれば、村民委員会の構成員の罷免を要求できる。罷免要求に際しては相応の罷免理由を要す。罷免を提起された村民委員会の構成員は申し開きをする権利を有す。村民委員会は即時に村民会議を開き、投票を以て罷免要求を決定しなければならない。村民委員会の構成員の罷免は選挙権を有する村民の過半数を必要とする。」
(註6)「廣東太石村逃避追捕的村民向本台講述罷免村幹部事件的最新情況」『自由亜洲電台』2005/08/26
http://www.rfa.org/cantonese/xinwen/2005/08/26/china_rights/
(註7)「太石村村民绝食声明:冯秋盛、梁树生被抓走」『新世紀』2005/08/31
http://www.ncn.org/asp/zwginfo/da-KAY.asp?ID=65570&ad=8/31/2005
(註8)上掲、『自由亜洲電台』2005/08/26、「相関視聴資料:大石村衝突録像資料」参照のこと。
(註9)郭飛雄「太石村民罢免村官动议发起人冯秋盛流落在外 ――广州郊区太石村罢免村官工作最新进展」『新世紀』2005/08/21
http://www.ncn.org/asp/zwginfo/da-KAY.asp?ID=65434&ad=8/21/2005
(註10)同上、郭飛雄(2005/08/21)
(註11)呂邦列「陪同美国记者采访太石村的见闻」『新世紀』2005/08/26
(註12)上掲、郭飛雄(2005/08/21)、郭飛雄「郭飛雄「太石村事件最新进展『新世紀』2005/08/26
http://www.ncn.org/asp/zwginfo/da-KAY.asp?ID=65509&ad=8/26/2005
(註13)「鹽酥雞」屋。こちらなど参照のこと。
http://blogs.yahoo.co.jp/kochiron_162/archive/2005/8/19
(註14)上掲、『新世紀』2005/08/31、「太石村村民再次抗議當局拒絕解散村委會重選」『自由亜洲電台』2005/08/31
(註15)「廣東農村土地鬆綁 人稱中國第四次土地改革」『中央社(蕃薯藤新聞)』2005/08/30
http://news.yam.com/cna/china/200508/20050830968402.html