果たしてツンデレなのか?そしてツンデレは最強なのか?

衛慧、『ブッダと結婚』、講談社、2005年

ブッダと結婚

 前作、『上海ベイビー』も確か文庫版を読んだはずだったんだが、ああ中国はバブルなんだなあ、という感想以外は綺麗に忘れてしまった。今回も、やっぱり中国(特に上海)はバブルなんだなあというのが先ず感想。しかしまあ、現代中国のハイソでクールな若者のハイライフというのはこんな感じなのかなというのは分かって興味深い。前作では、よく言わた性愛描写の過激さだが、あれはドラマを回す舞台装置みたいなもので、特に作品本体と不可分なのかと言われると疑問の余地があったような気がした(がもう忘れた)。

 しかし、前作と比べると、今作には「房中術」の様な老荘的な(というよりそこから分化した神仙系の)思想を象徴している様な気配もあり、衛慧さん、ニューヨークで中国人としての「私」というアイデンティティに開眼か?と思わせるところもある。また本書ではそうした老荘的な思想とともに、仏教的な思想というのもその根底に流れているようである。中国思想におけるメインストリームは「儒」であり、またそこから外れれば「侠」であり、一方でそうしたメインストリームに対抗する形で「道」や「仏」がある。筆者の言う「東洋の哲学」として「道」と「仏」、あるいはその混交としての「禅」(中国思想を齧ってる人からすれば出鱈目かも知れんが)が持ち出される辺りが興味深い。そこは恋人の日本人、Mujuによって気付かされたという点が大きく働いてるのかもしれない。中国人はどうも木と紙で出来た日本の伝統家屋などを見ると禅味が刺激されるらしい。そして唐の時代の文人趣味的なモノも刺激されるらしい。中国人の時々言う、唐の文物は日本に色濃く残ってますねというお褒めの言葉には、「華夷」という図式の中で天朝の礼教を学ぶ夷狄、愛い奴という臭いを感じるのは、私が病気だからですwむ、話がそれた。

 とか考えると、日本人の恋人というのは「東洋の哲学」を主人公に気付かせる道具立てとして登場するのか、はたまた性愛描写の様に世間の顰蹙を買う為にわざと出てくるのかと曲解して読み進んでいくと、どうも日本人の男の駄目なところが仔細に観察されているのでそうでは無いらしいと分かった。ともかく「ごめん」と誤ったりするところとか、事を複雑にしたくないからこそ誠実なのだというようなところなどは、やべえwwwwばれてるwと思いましたよ。流石に一流の作家の目は見抜いていると。リアルな日本人に触れる一方で、特に悪いことが書かれてるわけではないが、カリカチュアされた日本人のステレオタイプの様なものも顔を覗かせたりする。その辺のギャップがまた面白いところでもある。海外での生活が、そしてそこでの恋愛がある一人の人間の世界観を変えて行く、そして衛慧の目を通してそれを読者も追体験するのだと(たぶん)。ちなみに日本人のリアクションも傑作なものが多い。「君はほんとうにお姫様だね!」とは恋人のMujuの言。いやあ、まじでよく言ったと拍手しそうになりましたよ(分かる人には分かるw)。

 しかし話の種に読んだけど、個人的には普段こういう恋愛小説みたいのは読まないので大変でした。