展開を見せる広東省番禺区魚窩頭鎮大石村の抗争事件

 以前に何度か書いた大石村の件(参照1参照2)が新たな展開を見せているので、事件のその後について書いてみようかと思う。

 前回は9月1日の早朝に番禺区政府前に座り込み、ハンガーストライキに突入した大石村の村民が武装警察に排除されたところまで書いたかと思う。その後、武装警察は区政府に通じる道路を警戒。村民が再び区政府前で活動を行うのを阻止。一方、大石村の村民は村の財務室を死守する構えを崩さず、この騒ぎは膠着状態となっていた。

 こうした膠着状況に変化が見られたのが9月7日。番禺区政府民政局(民政局は村民自治を所管する部門)が村委会主任に対する罷免要求署名(「村民委員会組織法」の規定に基づく)の照合作業を行うために五名の人員を派遣したことで俄かに動き始めた。署名に基づいて身分証と本人の照合作業をいった区民政部であるが、その不透明なやり方や確認された署名の人数を発表しないなど村民の不満を高めたが、兎にも角にも区政府当局としては村委会の罷免動議の存在を認めたことになる。更にこの時点の報道には近日中に区政府が村の財務帳簿の調査に関して協力するための人員を派遣するという話もあった。もっとも村民側としては帳簿の公開がされないのであれば、如何なるものにも帳簿を渡すのを拒否するとしている(註1)。

 上述のように上級政府と村民の間で和解に向けた動きが出たと思っていたところ事態は更に急転。9月9日の早朝、魚窩頭鎮政府は公安と武装警察を大石村に投入。放水車の援護のもとで村の財務帳簿を守るべく財務室を死守していた村民を実力で排除した。「不法集会」を行ったというのがその名分らしい。報道によると、この時に財務室前にいたのが100名前後。その内、48名が公安当局に逮捕されて連行された。実力で村民を排除した公安当局は財務室に踏み入り財務帳簿や関係書類を持ち去った(註2)。7日の区政府による罷免動議署名の照合作業とこの9日の実力行使の間にどのような事が起こったのは不明だ。『自由亜洲電台』の報道によると、この公安の実力行使の主体は魚窩頭鎮政府と書かれている。上級政府(区、市政府など)の指示を受けて鎮静府が公安を投入したのか、それとも鎮政府の独断なのか、報道からは何とも言えない。しかし、7日時点での動きと9日時点での動きに齟齬があるのは確かではある。あるいは罷免動議は認めるが、土地取引に絡む不正の証拠は表に出さないという点で区政府と鎮政府が一致していたということも考えられる。

 こうした動きの中で奇妙な動きも見える。台湾の中央社の報道経由で知ったのだが、14日付けの『人民日報』の華南新聞において、この大石村の村委会構成員に対する罷免動議に関わる活動を高く評価する論評が発表されている(註3)。この評論において、村民の行動は社会の中で独立した輿論の力が活動する範囲である公共領域を形成し、法律の手続きに従って村民にとって満足できない官員を罷免しようとするのは村民の合法的な権利であり、法的な手続きに従って村民が自治を行うのは「法律普及教室(普法課)」の法律知識の普及宣伝活動の成果であると強調している。また、この評論の中では「法律普及教室」に参加した馮秋勝という村民が「村民委員会組織法」と「広東省村務公開条例」を他の村民に対して説明していたとのエピソードが紹介されている(註4)。こういう文脈でかかれると、政府の法治建設に関係の活動が基層民主推進の大きな要因である、というような御用評論家の政府賛美の臭いがしないわけではない。更に、この評論は「大石村の村官員に対する罷免活動は代表的な性格を具えている、これは珠江三角デルタの農村における村民自治の一つの典型である」と結んでいる。公安と武装警察によって数多くの村民が拘束、拘留されるという事態にありながらこの自画自賛ぶりは流石におぞましいものを感じる。ポルナレフ流に言えば正に「頭がどうにかなりそうだった…、人権弾圧だとか法治建設とかそんなチャチなもんじゃあ、断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…」というところだ。

 この評論では事件のあらましも触れられている。文章によると、「幾人かの組織者が「罷免動議」を起草して、直ちに400名強の村民が動議に署名して拇印を押した。署名は直ぐに番禺区民政局に送られたが拒否された。その後、五名の村民が再び民政局の接待室を訪れ、新たに署名がされた罷免動議を提出した。署名は更に増加して800人に増加していた。ついに民政局は人員を派遣して署名の確認作業を行ったが、数百名の村民が早くから確認作業が行われる場所に集まっており、その中には百歳のお婆さんも孫に支えられて現地に自ら脚を運んで身分証を提出した。公共領域は一人一人分散している村民の間に協力体制を形成し、村民に一つの共同行動を行う共同体を形成した。」とある。罷免要求のそもそもの原因である土地に絡む不正や、罷免要求の過程で多くの村民が公安当局に逮捕されたことなどには全く触れられていない。これを官製メディアの限界と見るか、農民の命を張った活動をあたかも当局が平和裏に受容したかの様に書くばかりか村民自治とか基層民主の宣伝材料にしていると見るか。そういやちょっと前に、胡錦濤とか温家宝が村民自治に言及して民主とか人権に関して宣伝してたな。

 この様な評論が出てくる背景をどう考えるか。中央と広東省とのこの事件に対する立場の違い、外国メディアにも報道されてしまったこの事件に対するカウンターというか逆宣伝、広東省内部での各級政府間の不協和音。色々と可能性は考えれれるが今のところはよくわからない。

 さらに、14日には15日に罷免委員会のメンバーを選出することが公布され、15日には100名近い公安が警備する中で村民大会が開かれ、上級政府が推薦する候補者を抑えてメンバーの全員である七名ともに村民側の候補者が当選した。報道によればこの結果は夕方までに番禺区政府によって公布されたという(註5)。罷免を求める村民側にとって大きな前進といってよい結果が出た。一方で、当初から村民側に法律家とのわたりをつけるとか、区、鎮政府との交渉役を担っていた郭飛雄の行方がわからなくなっていることや、この村民大会の際に村民の罷免活動に支援を行っていた呂邦列が秩序を乱したとして公安に拘束されたとのこと(註6)。この事件を特徴づけるものとして、当初から村民を支援する知識人や法律家の存在が見て取れていたが、どうもその中心人物が拘束されたらしい。また、村財務に関する帳簿を巡る村民と公安との衝突で逮捕された村民のうち、未だに23名が拘留されていることに加えて、彼らの拘留が行政拘留から刑事拘留へと変更された模様である(註7)。先の『人民日報』の評論に見られるこの事件への賞賛ぶりと現場の実情にはかなりの温度差がある。村委会主任の罷免へ向けて村民側は前進しているが、その目的である土地取引に関わる不正をどう追求していくかに関しては財務帳簿が鎮政府に抑えられたこともあり、その道は遥かである。


(註1)「番禺區民政局開始覆核太石村民請求罷免村委主任的簽名」『自由亜洲電台』2005/09/09
http://www.rfa.org/cantonese/xinwen/2005/09/09/china_rights_taishi/index.html?simple=1
(註2)「廣東番禺魚窩頭鎮政府突然採取新的高壓行動對付村民」『自由亜洲電台』2005/09/12
http://www.rfa.org/cantonese/xinwen/2005/09/12/china_rights_taishi/index.html?simple=1
(註3)「番禺太石村推動罷官 中國官方媒體譽為典範」『中央社(蕃薯藤新聞)』2005/09/18
http://news.yam.com/cna/china/200509/20050918121763.html
(註4)「有感于村民依法“罢”村官(一家之言)」『人民日報・華南新聞(人民網)』2005/09/14
http://www.people.com.cn/GB/paper49/15696/1387992.html
(註5)「番禺区政府同意太石村民成立罢免委员会、但维权人士郭飞雄下落不明引起关注」『自由亜洲電台』2005/09/15
http://www.rfa.org/cantonese/xinwen/2005/09/15/china_rights_taishi/
「太石村村民支持的七名罢免委员会候选人全部当选」『自由亜洲電台』2005/09/16
http://www.rfa.org/cantonese/xinwen/2005/09/16/china_rights_taishi/
(註6)同上
(註7)同上

踊る中共の権力核心-死せる胡耀邦、活ける胡錦濤を走らす(3)

 前々回前回の続きです。

 更新が遅れてしまった。すでに話題としては遅きに失した感があるが胡耀邦の再評価の動きについて思うところを述べたいと思う。

 こうした動きを先ず報じたのはロイター通信でそこでは、「国民に人気のあった胡耀邦氏の追悼集会は、1989年6月の天安門事件に発展。中国の国営メディアでは今でも、その名はほとんど言及されない。ある関係筋は「胡錦濤国家主席は、胡耀邦氏の名を借りることで、その政治的な資産を受け継ごうとしている」と述べた。」と報道されている(註1)。この報道は香港文匯報が後追いで報道しているから中国当局がそれを認めた考えてよいかと思う。ここで疑問となるのが胡耀邦の「政治的な資産」というのが何なのかという点だ。報道にもあるように、胡耀邦といえば天安門事件前の80年代に政治改革を主導した人物として知られる。本来は趙紫陽とともに中共中央の本流にいた人物なのだが、天安門事件以後には「ブルジョワ自由主義」の評価が確定した。彼を評価するというのは天安門事件以後ある種のタブーとなっていたというのは報道に有る通りだ。ここに来て胡耀邦の生誕90年記念式典や記念出版物の刊行を行うという動きは、胡錦濤が政治改革者としての胡耀邦のイメージを利用して自身の求心力を高ようとする行為だというのが多くの報道の共通した見方かと思う。あるいは李鋭に代表される党内元老グループ右派の取り込みという見方もある。恐らくそれらはどれも正しいだろう。それらの見方に加えて個人的に二点ほど気になる点があるのでそれらを考えてみたい。


イデオロギーの解釈権は政敵の死命を制す

 さて何度も引き合いに出しているが訒小平華国鋒の権力闘争をちょっと振り返ってみたい。詳しくは文革関連の文献とか、馬立誠の『交鋒』辺りを読んでもらうとよいだろう。訒小平側は「事実求是」、「実践」という現実主義的なアプローチこそが毛沢東思想の真髄だとして、「凡是」(二つの全て)を掲げて毛沢東路線の継続を訴えた華国鋒教条主義的な態度を批判した。そうした中央党校を舞台にしたイデオロギーの解釈や路線を巡る論争というのは、毛沢東の「遺詔」を権力の正当性の拠りどころにする華国鋒への攻撃だったわけである。ちなみにこのイデオロギー論争で活躍し脱文革キャンペーンで活躍したのが当時中央党校の校長であった胡耀邦である。それに加えて文革時に下放された青年や、追放処分にあった幹部などが名誉回復を求めて北京に陳情に続々と集まるという動きも圧力となっただろう。こうした背景のもとで第十一期三中全会で訒小平の権力は確固としたものになった。翻って今日に目を向けてみると、国内の経済政策を巡っての路線対立と、訒小平理論を如何に解釈するかということは密接な関連がある。天安門事件以後、80年代の改革は後退し、「社会主義初級段階論」に基づく経済成長至上主義と「新権威主義論」に代表される中共の独裁と権威的主義的な統治を容認する江沢民時代が始まった。こうした背景を考えると今回の胡耀邦の再評価が含意するところは中々に剣呑だ。胡錦濤の唱える「和諧社会」建設論や「的科学発展観」と、文革後に「思想解放」を主導し、80年代政治改革を主導した胡耀邦の解釈する訒小平理論がどのようにシンクロするのかは不明だ。しかし、それは「社会主義初級段階論」に基づく経済成長一辺倒の政策運営を進め、社会の矛盾を拡大させてきた江沢民時代へのイデオロギー上の明確なアンチテーゼとなり得る。そういう文脈で眺めると、今回の胡耀邦の再評価というのは、あたかも文革後の権力闘争のように、訒小平理論というイデオロギーの再解釈という側面を持つのではないかと考えれれるのだ。

 一方、こうした考えに対する疑問は当然にある。胡錦濤は就任以来、メディアへの締め付けを強め、最近には社会団体への規制も強めているようである。また彼の進める「保先運動」や、北朝鮮式の政治体制への肯定的な発言などに共産原理主義の臭いを感じ取っている向きは多い。そうした中で80年代の政治改革を象徴する人物に自身の求心力を高めるためにご登場願うというのも何やらグロテスクなものを感じざるを得ない。彼自身の政治改革への姿勢には大きな疑問符がつく。また、多くの報道が天安門事件の再評価には繋がらないだろうと述べているのもそうした臭いを感じ取っているのだろう。シンボルだけを利用したい党中央の権力者の思惑通りに人々が動くかどうかは、昨今の社会矛盾の拡大振りからは予測不能と思うが。


不気味な接近
 
 前々回、前回、今回と三回に渡って色々書き散らしてきたが、台湾政策の温度差、政治改革のシンボルの利用、という動きの中で見られる奇妙な接近について最後に触れたい。前にも多少触れたが、台湾政策における「心理戦アプローチ」の重視、政治改革というと、劉亜洲に代表される軍内の改革派グループとの親和性に目が行かざるを得ない(註2)。本来、胡錦濤と劉亜洲らのグループは3月、4月の反日暴動発生時には鋭く対立したと伝えれれている。しかし最近の行動を見るにどうも不気味な接近傾向を感じるのだが。例の反日暴動以後に何かしらの動きがあったのだろうか?もし彼らがアクロバティックな握手を遂げていたとすると、衆議院選挙で圧勝した小泉総理がするであろう靖国参拝後のリアクションが気になる。あるいは東シナ海EEZ中間線付近に艦隊を派遣しての示威行動というのも対日政策における両者の接近のシグナルなのか?(註3)これだけじゃ何ともいえないが、注意して見ていく必要がありそう。

(註1)「胡錦濤・中国国家主席胡耀邦・元党総書記を復権か」『ロイター(Yahoo!ニュース)』2005/09/04
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050904-00000609-reu-int
(註2)この劉亜洲は台湾政策について最近に『環球時報』で「中国の未来二十年の大戦略」(「中国未来二十年的大战略」)と題する文章を発表したようだ。残念ながら原文は発見できなかったが以下など参照に出来るかと思う。
交流協会「政務関係 安全保障・軍事」『台湾月報』2005/07/29
http://www.koryu.or.jp/Geppo.nsf/0/1c1902e1e74760ed49257050001d26ae?OpenDocument
黄世沢「捕捉内地新思维 普选有望」『新世紀』2005/08/06
http://www.ncn.org/asp/zwginfo/da.asp?ID=65231&ad=8/6/2005

(註3)「中国海軍 東シナ海のガス田付近に軍艦5隻派遣」『毎日新聞Yahoo!ニュース)』2005/09/10
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050910-00000006-maip-int

踊る中共の権力核心―将を射んとすれば先ず馬を射よ(2)

 前回の続きです。

対台湾政策と抗日戦争観の変化

 さて、胡耀邦絡みの話を始める前にもう一つの路線闘争、台湾政策についても触れておきたい。本来、江沢民時代と胡錦濤時代の台湾政策に大きな変化は無かった。両者は台湾では「江八点」と呼ばれる江沢民が提起した台湾政策の基本線で一致していた。一国両制度、平和的統一、台湾独立阻止、一方的な現状変更には軍事オプションの選択肢を排除しないなどなど。それが変化し始めたのが今年三月の「反国家分裂法」の制定後である。この法律は台湾への武力行使に法的根拠を与えるもので、条文では三通などに触れられているものの、軍事オプション重視への傾斜を伺わせるものであった。これは、2008年までに新憲法制定(「中華民国」の国体の変更を意味する可能性がある)を目指すとした陳水扁が総統選挙で再選を果たしたことなどが関係しているかと思われる。またこの動きには軍部内の対外強硬派の意向が強く働いたとの説が有力である。こうした動きの一方で、4月末には台湾の国民党主席である連戦が中国大陸を訪問し、胡錦濤と会談して共同コミュニケを発表するなど、「反国家分裂法」制定時とは趣きの異なる動きがあった。この背景には国際的に批判の多かった「反国家分裂法」の色彩を弱めること、両岸関係の安定化をアピールしてEUの武器禁輸措置を緩和させること、国民党に対中交渉窓口という政治資源を与えることで台湾の独立派を牽制するとともに親中意識を掘り起こそうとすることなどがあったと考えられる。こうした一見するとベクトルの異なる政策が短期間の内に実施されるというのは様々な憶測を呼ぶものである。幾つかの分析は軍内の路線対立の可能性に言及した。特に8月に「軍における『中国共産党紀律処分条例』貫徹執行のための補充規定」が公布され、党の軍に対する統制強化が打ち出されると軍内の様々な矛盾が無視し得ないものとなっているとの分析は説得力をもったように思う(参照)。こうした軍部内の路線対立と関連してか、この8月、9月の抗日戦争勝利60周年キャンペーンにおいて党中央の不協和音を示すような動きが出ている。

 8月15日付けの『人民日報』に「中国共産党は全民族の団結抗戦の要」と題する特約評論員の手による文章が発表されたが(註1)、その中には次のような一文がある。

「中华民族到了最危险的时候。政府当局却顽固坚持“攘外必先安内”的不抵抗政策,严令东北军全部撤入关内,并要求民众“暂取逆来顺受态度,以待国际公理之判断”。政府当局的错误政策,极大地压制了抗日救亡的民族热情,助长了日本帝国主义的嚣张气焰,同时也使一些人难以看清日本侵略者的野心,抱有退让求安的幻想。中国共产党在江西革命根据地反“围剿”斗争极端艰苦的条件下,挺身而出,代表全民族发出了武装抗日的第一声怒吼。」

 内容を要約すれば、当時の国民党政府は共産党の殲滅を優先して日本に対する譲歩と無抵抗政策を頑迷にも堅持し、抗日への民族の熱情を抑圧して日本帝国主義の侵略への野心を助長した。一方で、「剿共」という苦難の環境にありながら共産党こそが初めて全民族を代表して武装抗日の第一声をあげた、というものである。こうした抗日戦争観というのはこれまで中共が積み上げてきた「抗日神話」と変わるところは無い。また、この文章が「三つの代表」を強調するともとれる文脈があることから「江沢民の色彩が濃厚」なものであるという指摘もあることを付け加えておこう(註2)。

 一方でこうした抗日戦争観と異なる歴史観というものが8月頃から表面化している(註3)。抗日戦争に関する展示会が各地で開かれたが、その中には国民党が抗日戦争時に果たした役割を再評価するという内容も含まれていた。これに対して党中央のある向きには不満があったようだが、8月26日に胡錦濤は中央政治局常務委員会の集団学習を行いその中で「全体中華民族子女の団結を堅固にし強化しよう」と呼びかけ、また8月27日には退役軍人との座談会で「中国共産党は全民族の団結抗戦の要」であると認める一方、新しい歴史の条件の下で、時代に恥じない、祖国に恥じない、人民に恥じない、人民の軍隊に恥じない、新しい業績創造する必要があると指摘した。また、8月28日には『人民日報』で特約評論員による「偉大な抗戦精神をして実際の中華振興に役立てよう」という文章が発表された(註4)。

 どうも9月3日の「抗日戦争勝利60周年記念大会」における胡錦濤の「重要講話」の概要は、8月から国民党の抗日戦争に対する貢献の再評価、中華民族の団結を強調という線で着々と外堀が埋められてきたようである(参照)。このことと前回の中央政治局分裂の噂、3日の式典に長らく公の場に現れなかった江沢民が堂々と序列第二位で登場したことを考え合わせていくと興味深い構図が浮かび上がってくる。やはり大駒が動くと局面に出るのだ。胡錦濤のやりたい放題に圧力を加えるべく江沢民がその健在ぶりをアピールする為に出てきたとすれば?そして、その面前で中央政治局内でも論争の有る抗日戦争観の変化を示唆させる演説を行った胡錦濤との意図とは?これは明らかに台湾政策と抗日戦争観を軸とする、路線闘争とイデオロギー論争のガチな衝突の表出であるまいか。更に言えばこの問題は、軍部内の路線闘争と関連していることも疑われる。党中央、軍部、それぞれの勢力関係がどうなっているかという点も考慮すると興味深いのだが、それは胡耀邦復権とも合わせて考える必要があると思うので次回に譲るとする。あるいは自分の考えていた勢力間の合従連衡の構造、その立場に関しての理解が間違っていたか、その大幅な組み換えがあったのかも知れない。

はっちゃける李長春

 さて、上述の抗日戦争観を巡る党中央の不協和音ぶりだが、その余波は未だに収まっていない雰囲気である。9月4日付けの『新華網』の記事に李長春が9月2日に学術検討会の開幕式場で述べた「1931年の九一八事変後に中国共産党が独立して抗日闘争を指導したことは十分に肯定されるべきだ。」という講話が掲載さたという(註5)。また、それを受けてか、9月6日の同じく『新華網』の「晩間要聞」欄に「胡錦濤総書記の講話は抗戦老戦士の間に強烈な反響を巻き起こした」という内容の記事が掲載され、「あの悲劇的な歴史の偉大な精神から汲み取るものを汲み取り、実際の行動の発展を加速させる」とか「中華民族の偉大な復興を実現する。これが根本だ!」という退役軍人の声が寄せられたという(註6)。

 李長春といえば江沢民と近く、中央政治局内ではイデオローグを担当している人物である。そうした人物が総書記の「重要講話」に異を唱えるような発言をしていたことが公になるのは異例であるし、その話題が歴史観という多分にイデオロギーに関わる部分だけに、その不協和音ぶりの深刻さが考えられる。更に胡錦濤李長春の中央政治局内での論争の噂なども考えると・・・・。

 次に胡耀邦復権の意味などを考えてみたいのだが、長くなったので次回に。しかし最近中国ネタばっかりだな。最後に蛇足ながら。私は軍内に対台湾政策を巡って強硬派(軍事オプション重視派)と穏健派(心理戦アプローチ重視派)の路線闘争があるのではないかと推測しているが、穏健派という言い方はしても台湾独立には当然反対であるし、台湾側が独立に類する動きを見せれば武力行使するという点では両者のコンセンサスがあると考える。というか、大陸人の殆どに共通するコンセンサスだと思うが。

(註1)「中国共产党是全民族团结抗战的中流砥柱」『人民日報(人民網)』2005/08/15
http://www.people.com.cn/GB/paper464/15460/1369470.html
(註2)邱鑫「五中全會前 人民日報文章只提三個代表」『亜洲時報』2005/08/17
http://www.atchinese.com/index.php?option=com_content&task=view&id=5174&Itemid=28
この分析に関してはこちらを参照のこと。
(註3)馮良「抗戰論述引發中共高層互動:胡錦濤安撫老軍人」『亜洲時報』2005/08/28
http://www.atchinese.com/index.php?option=com_content&task=view&id=6014&Itemid=28
(註4)同上、馮良(2005/08/28)、馮良「胡錦濤指國民黨負責抗戰正面戰場:一石三鳥之舉」『亜洲時報』2005/09/03
http://www.atchinese.com/index.php?option=com_content&task=view&id=6435&Itemid=28
また、『人民日報』の記事は以下を参照。
「深刻汲取中国人民抗日战争胜利的历史经验 万众一心实现全面建设小康社会的宏伟目标」『人民日報(人民網)』2005/08/27
http://www.people.com.cn/GB/paper464/15561/1377399.html
「中央军委举行驻京部队老战士座谈会」『人民日報(人民網)』2005/08/28
http://www.people.com.cn/GB/paper464/15565/1377690.html
「把伟大抗战精神化为振兴中华的实际行动」『人民日報(人民網)』2005/08/28
http://www.people.com.cn/GB/paper464/15565/1377692.html
ちなみに、退役軍人との座談会の記事には写真が添付されており、胡錦濤中共中央総書記、国家主席、中央軍事委員会主席の肩書きとともに、例のなんちゃって軍服風人民服着用である。
(註5)白荘「防止離間軍心陰謀:抗日老兵表態挺胡」『亜洲時報』2005/09/06
http://www.atchinese.com/index.php?option=com_content&task=view&id=6600&Itemid=28
『新華網』の元ネタ発見できず(泣)。
(註6)同上、白荘(2005/09/06)
またしても『新華網』の元ネタ見つからず。検索全然使えないんですけど。

踊る中共の権力核心−権力闘争はいよいよその核心へ?(1)

 中共の権力核心周辺の権力闘争は、隠微なサボタージュ、人事を巡る陣取り合戦といった段階から、いよいよ路線闘争と自らの主張するイデオロギー同士の衝突へと突入しつつあるようだ。中国的な政治文化にあっては、路線闘争とイデオロギー論争は常に権力闘争を進める上での車の両輪であった。イデオロギー論争での勝利こそが自らの党内権力における正当性を担保するのだ。天才的なイデオローグでありプロパガンダの操縦者であった毛沢東中共権力のカリスマであったこと、訒小平文革後の復権を果たすに際して、華国鋒を追い落とした「実践派」と「凡是派」の論争。現在の中共もその例外ではない。

 ちょっと前に反体制系のサイトで流れた中央政治局での路線闘争を伺わせる文章をご紹介したい。勿論、その文章の性格から眉に唾して読むべきだが、昨今の政治状況を考えると非常に興味深いので。

『中央政治局分裂の噂』

 伝えられるところによると7月下旬、黄菊は政治局常務委員会議の席上にて上海市党委員会の「一致した意見」を伝達した。「もしまだ我が国が社会主義の初級段階にあると認めるのならば、我が国の現在の社会主義は平均主義を行うべきではない、我々は平均主義の実施に旗幟を鮮明にして反対することによってのみ、現段階の社会主義経済建設を安定的に発展させ得る。小平同志は我が国の社会主義経済建設と発展に一筋の確かで前途のある光明を指し示した。それは先に一部の人々を富ませることで、まず安定的で手堅い経済中の基礎を建設し、その後に点を面へと全国に向かって広く輸血していくことであった。ここには二つの意味が見出せる。一つは「有先有後」(先があって後がある)、もう一つは安定的で手堅い経済中の基礎を建設から始めることである。小平同志の指し示した路線に鑑みれば、中国の現段階は平均主義を実施する状況にない。我々は中央の領導同志に中国の貧困地区が急速に行政手段を以って平均主義を実現しようとすることを刺激すべきではないと考える。我々は良き均衡と良き方向に注意すべきだ。さもなければ我々の多年に渡って築いてきた経済発展の成果は一朝にして潰えるだろう。その時、我が党の執政能力は強化されないばかりか、却って弱体化し、尚且つ更に大きな挑戦に直面するだろう。」

 また別の説の内容というのも驚くほど似ている。だだし、伝えられている内容というのは上海市党委書記の陳良宇が中共中央政治局委員会に送った手紙の内容ということだが。

 また、別の説によると、今年の7月下旬、8月初旬に李長春が政治局常務委員会会議の席上、胡錦濤と宣伝に要求される性格と政策の問題を巡って激烈な論争があったとの説である。李長春は「私の思うところは全て話す。話し終えれば私は退席する。」と言ったという。彼は話し終わると退席した。李長春胡錦濤に対して言ったというのは伝えらるところによると、「総書記同志は宣伝を社会安定に有利になるよう用いるべきだと強調する。社会不安の要素の爆発を助長させるべきではないと。私は諸手を上げて賛成だ。現在、至るところで我々を批判する宣伝媒体が緊縮された。私は当然にこの種の批判に同意しない。私は私の考えを反す。私が話すのは私の考えるところだ。私の思うところは全て話す。話し終えれば私は退席する。現在、我々の党の領導幹部、我々の党がコントロールする口舌は、宣伝において社会の安定と社会不安の要素を爆発を助長させることにおいて不利である。我々は我が国経済改革を探求し前進させる宣伝をすることを強化していない。我々は改革開放以来の我が国の巨大な経済発展の成果を宣伝することを強化していない。反対に、ある一部の人々、特に一部の我々の党の主要な領導幹部は、我が国の改革開放以後に発生した貧富の二極化を強調し、沿海の経済発展が比較的早い地域の発展が早すぎる、生活が奢侈に過ぎることを誇張し、行政手段を以って沿海の経済発展が比較的に早い地域でいわゆる調節を進めるべきだと強調している。更に、我が国に依然として広大な貧困地区が存在していることを社会不平等であると強調している。わが党のある一部の指導者はこの種の地方に出かけていって泣いて見せたりする。これは貧困層に革命を扇動することと異なるところは無い。また我が党の執政能力を強化することに有利とはならないし、沿海の富裕な地区で革命を騒がすものだはない。これは、我が党が第十一期三中全会以来の安定的な経済改革が築いてきた全ての巨大な革命の成果を騒がすものだ。これは危険なものである、これは我が党が認めるべきものではない。」、というもの。

 李長春のこの話には幾つかの異なる説があって、その中の一つが言うには李長春胡錦濤と論争した後に、自分は政治局常務委員に留任し続けるのに適さないと表明したというもの。またある説によれば、李長春は面と向かって胡錦濤を叱責して、「誰が訒小平同志の改革路線を否定しようとしているのか、誰が反党なのか。」と言ったという。また別の説によると、李長春がその他の政治局常務委員たちに対して、「共産党は現在執政党だ、執政党は貧困層に革命を唆すべきではない、誰が貧困層に革命を唆しているのか?私は彼の反対党だ。」と語ったというものだ。

 一般に信じられているのは、胡錦濤共産主義理論の信奉者で、同時に権力を自身に集中させるために官僚の腐敗、経済発展の不均衡がもたらした社会の不平等などの問題を利用しているということだ。漸進的に、そして慎ましく慎重だが絶え間なく前任者の江沢民が抜擢した官僚に圧力を加えている。更に、自らの信頼するものを中央と地方をコントロールする重要な職位に就けている。ある人はこの種の話が伝えられるという事実こそが中共中央政治局常務委員会がすでに公にも分裂していることを示していると考えている。

(以上、朱学淵「【学渊点评】《传中央政治局分裂》」『新世紀』2005/08/23
http://www.ncn.org/asp/zwginfo/da-KAY.asp?ID=65470&ad=8/23/2005
より引用)

 さて、ここではもっともらしく語っている人が何で政治局常務委員会議の内容を知っているのよ?と突っ込んではいけない。中国では古代から項羽の死に様とか、劉備諸葛亮の草盧対の内容とか、お前見てきたのか?という位に正確に歴史書に書いてある。楚軍は全滅したのに誰が伝えたんだとか、劉備諸葛亮は二人きりで語り合ったのに(ウホな妄想禁止)何でその内容知っているんだとか、そうした突っ込みは無粋である。状況証拠的にそういうことがあったのだろうと思えば面白い方を採用するのが中国人の人情である。上の文章はそういう「物語」的な文脈で読んでおくのが無難だ。事実かどうかはわからないし、確認のしようもない。世間の人はさもありなんと考えている、または実際に確認することが出来る情報とどれだけ符合するのかの参考にする程度で丁度良いかと思う。欺瞞を目的とした情報には少しの事実が含まれているものだ。全くの嘘なら信じる人もいないが、少しの事実が含まれた嘘なら信じたくなるのが人の性。一々それを検証したり、情報を虚構と事実とに分解して再構築する、というのは国とかの偉い人の仕事なので偉い人に任して、ここでは思考の材料としてこれを提供するに留める。勿論、確認出来る事実を提示して私なりの見立てを述べるが、各人にもネタの再構築する楽しみはあるはずだ。大体においてネタ元を明示してその再現性を担保しているのもそのためである。む、話がずれた。何の話だっけか?

 それはともかく、上述の政治局常務委員会議での議論の内容がそのまま事実であるかはわからない。しかし、そこで述べられているような路線対立を伺わせるような事実なり分析というのは数多く出てきている(参照1参照2とか)。二つの路線を単純化すると、一方は経済成長至上主義。また地方への考え方としては沿海の経済発展を全中国の経済成長の牽引役として引き続き沿海地区を重視。これらの主張の正当性を担保するものとしては、訒小平理論(「先富論」、「社会主義初級段階論」など)、「三つの代表」論が考えられる。もう一方は、経済の過熱化を抑制するマクロ経済調整政策と発展段階の不均衡の是正を重視する立場。この主張の正当性を担保するために唱えられているのが「和諧社会」建設論である。この「和諧社会」建設論というのはイデオロギーの理論化という点ではまだ迫力に欠けるように思う。そこに飛び込んできたのが胡耀邦の生誕90年を記念する行事の開催、出版物の刊行を党中央がプッシュというニュースである。

 報道によると、「5日の中国系香港紙・文匯報は、1987年に「ブルジョア自由化」を放任したとして失脚に追い込まれた胡耀邦・元総書記の生誕90年となる今年11月20日に合わせ、中国当局が胡氏の記念大会を北京で開く見通しだと報じた。事実なら、89年の胡氏死去後、当局が初めて行う胡氏の本格的な記念行事となる。」とのこと(註1)。さて、この動き。上述の路線対立と胡耀邦が失脚した過程と誰が彼を失脚させたのかを考え合わせると中々に剣呑な含意を持つように思われるが。その辺はビールも回ってきたので次回に。

 つうか、馬立誠は『交鋒―Episode 2』の執筆準備をしておくように。嘘だけど。

(註1)「失脚した胡氏生誕90年、当局が「記念行事」見通し」『読売新聞(Yahoo!ニュース)』2005/09/05

抗日戦争勝利60周年記念大会にまつわる政治力学

 9月3日に行われた中国の抗日戦争勝利60周年記念大会に関する評論などをつらつら読んで見ると、中国共産党の唱えるお経部分を除くと注目すべき点は以下の三点に絞られるかと思う。(1)胡錦濤との対立が囁かれる江沢民の動向、(2)胡錦濤は国民党が抗日戦争で果たした役割を評価、(3)靖国参拝を牽制。それ
ぞれに関する報道などをメモしていきたい。

江沢民は未だに健在

 時事通信の報道によると9月3日に行われた抗日戦争勝利記念式典に際しての胡錦濤の演説を一面で報道した4日付けの『人民日報』における出席者の序列で、公職から退いた江沢民が序列二位で紹介されたとのこと(註1)。『人民日報』を眺めて見ると、「午前10時、胡錦濤、、江沢民呉邦国温家宝賈慶林、曽慶紅、黄菊、呉官正、李長春、羅幹などの領導同志と十名の抗戦老戦士、愛国人士、抗日将領はともに会場入りし(略)」と書いてある(註2)。中央政治局常務委員の九名+江沢民で「領導同志」というわけで、その中でも江沢民胡錦濤に次いで序列二位で紹介されている。公の場に姿を表したことと合わせてその健在振りをアピールしたかたちだ。時々流れる健康不安説ってなんだったのよ?呉邦国賈慶林、曽慶紅、黄菊、李長春と自身に近い人物を政治局常務委員にねじ込んでることに加えて、まだまだ安泰?こうした江沢民の序列二位というのは中共の党元老が死亡した際の訃報でも観察できるようだ。ある分析によれば、こうしたやり方というのは江沢民が総書記の時期に訒小平が政治局常務委員の前面に序列されていたのと同じだという(註3)。総書記を退いてからも中央軍事委員会の席は中々に手放さなかったことといい、どうも江沢民訒小平の顰に倣うのが好きなようだ。これが意味するところは中央政治局に自身の政治的な影響力を残したい、或いは訒小平のように胡錦濤の次の総書記を指名する権限を担保したいとの思惑か。キングメーカーとしての影響力は即ち自身の求心力であるし。十六期中央委員会第五回全体大会(五中全会)を前にして、政治局内の路線対立、権力闘争の可能性が言われている時期だけに、江沢民の影響力の健在ぶりは様々な憶測を呼びそうである。

(註1)「江前主席、今も序列2位か=肩書なくても扱い異例〓中国人民日報」『時事通信Yahoo!ニュース)』2005/09/04
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050904-00000036-jij-int
(註2)「纪念中国人民抗日战争暨世界反法西斯战争胜利60周年大会在京隆重举行」『人民日報(人民網)』2005/09/04
http://www.people.com.cn/GB/paper464/15619/1382011.html
(註3)邱鑫「五中全會前 人民日報文章只提三個代表」『亜洲時報』2005/08/17
http://www.atchinese.com/index.php?option=com_content&task=view&id=5174&Itemid=28


台湾に対する心理戦?国民党の貢献を評価

 また胡錦濤は抗日戦争勝利記念式典の演説で国民党が果たした役割を評価し、民族の団結をアピールしている(註4)。こうした動きは抗日というイシューを利用した台湾の親中意識の掘り起こしという点で「また統一戦線か!」(中国語で言うと「又搞統戰啊!」つうのか?)と流しそうになるが、この動きはこれまで中共が積み上げてきた「抗日神話」と相反する動きである。彼らはこれまで中国共産党こそが抗日戦争の中心勢力であり、国民党は東北(旧満州)から軍を引き上げるは、日本の侵略が迫っているのに「掃共」と称して共産党を弾圧して国内を分裂させるはろくなもんじゃねぇ!というような主張をしていた。台湾での評価と言えば、国民党が苦労して抗日八年を戦っている時に共匪は後方でせっせと自分の根拠地作りか!何が八路軍、新四軍だ氏ね!というのがその評価であった(かなり要約)。それがここに来てこの演説である、当然に様々な憶測を呼んでいる。

 以下、私的妄想。そもそもこうした話が出てくるのは4月に連戦が訪中してからの「国共合作路線」の存在を無視できない。この中で胡錦濤は「平等な対話と、コミュニケーションを強化し、共通認識を拡大する」とした。こうした「第四次国共合作」路線を主導したのは香港紙などの報道では劉亜州ではないかと言われている。彼は春先の反日デモ騒動の際には指導部の対日姿勢が弱腰に過ぎると強烈な圧力をかけて対立し、訪日中の呉儀副首相の突然の帰国などなど、中国の権力核心周辺でかなり危機的な状況が存在したのではないかと言われている。それがここに来て、抗日戦争時の国民党の貢献を評価するという胡錦濤演説に象徴される「国共合作路線」の推進という点では、彼らの行動は軌を逸にした。そもそも劉亜州は台湾に対しては軍事的オプションを用いるよりも心理戦的なアプローチでその中国への支持を得るべきだという考え方のようだ。そうなると「反国家分裂法」の制定や朱成虎の「核攻撃してでも米の介入を阻止する」(『動向』のウェブサイトを見てたら「核狂人」朱成虎とか書いてあってワロタ)という発言に代表される対台湾強硬派との温度差のようなものを感じざるを得ない。対外的に影響の大きな政策については中国も事前に日米などに「説明」することもあるのだが、「反国家分裂法」に関しては外交筋は日本側からアプローチしても沈黙していたというような話をどこかで読んだ。対台湾強硬派の影響力の大きさを示すエピソードである。軍内の路線対立と、党中央の権力闘争をあわせて考えるとき、今回の件はもう少し深く考察する必要がありそうだ。

 妄想の材料になりそうな評論が『亜洲時報』に載っていたのでご紹介までに。この文章は要約すると、今回の抗日戦争時の国民党の役割に対する再評価というのは、8月15日に『人民日報』に発表された「中國共產黨是全民族團結抗戰的中流砥柱」(「中国共産党は全民族の団結抗戦の要」)という文章と趣の異なることに注目している。「三つの代表」を強調しているこの「江沢民の色が濃厚」な文章では、国民党を「抗日救亡の民族の情熱を極力抑圧した」としている(註5)。8月中に行われた抗日戦争展の展示には国民党の貢献を評価した展示があり、それがある向きの不満を買ったという話もある。一方で、8月26日に行われた中央政治局の集体学習において、胡錦濤は「大いに中華の子女の大団結を確固とし強化する」、「偉大な中華民族の復興の実現に奮闘する」、「和平、発展、協力、旗幟を高く掲げる必要がある」と指摘した。尚この学習は抗日戦争の思考と回顧という内容も含んでおり、それが党中央の一部の不満を引き起こしたという(註6)。

 なんでも権力闘争のネタに持っていくのは中南海ウォッチャーの悪い癖だが(その方がおもしれぇし)、台湾政策、抗日戦争時の国民党の貢献に対する再評価、党中央の不協和音、という線で見ていくと、今までに見えてなかった構図も見えてくるかもしれない。

(註4)「<抗日記念式典>胡主席が国民党軍賞賛 民族団結をアピール」『毎日新聞Yahoo!ニュース)』2005/09/03
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050903-00000058-mai-int
(註5)馮良「胡錦濤指國民黨負責抗戰正面戰場:一石三鳥之舉」『亜洲時報』2005/09/03
http://www.atchinese.com/index.php?option=com_content&task=view&id=6435&Itemid=28
(註6)馮良「抗戰論述引發中共高層互動:胡錦濤安撫老軍人」『亜洲時報』2005/08/28


大祭りの予感?

 報道によれば、「中国の胡錦濤国家主席共産党総書記)は3日の「抗日戦争勝利60周年」記念式典で「日本の政府と指導者は真剣で慎重な態度で歴史問題に善処し、侵略戦争に対する『おわびと反省』を行動に移すことを希望する」と述べ、小泉純一郎首相が靖国神社参拝を継続しないようけん制した」とのこと(註7)。また胡錦濤演説を世界のメディアはどう伝えたかという『人民日報』の9月5日の記事では日本の主要メディアの見方として、『朝日新聞』を引用して、今回の演説を日本の指導者が靖国神社に参拝することを厳しく批判すると同時に、中日関係の重要性を強調するものだと伝えている(註8)。

 日本での衆議院選挙の結果を待たなければならないが、小泉首相靖国神社の参拝を示唆しており、胡錦濤の面子丸つぶれの予感なのだが。従来こうした靖国神社参拝への牽制と、日中関係の重要さを強調という二本立ての発言というのは、靖国神社参拝を中止すれば日中関係を大幅に改善させるというシグナルだとの解釈が一般的だったかと思う。しかし、小泉首相は中国側のそうしたシグナルを無視して毎年靖国神社を参拝してきた。「やるなよ、絶対やるなよ」→敢えてやる→ドッカーンというパターンはお笑い芸人なら黄金パターンだが、胡錦濤がそうしたユーモアを解しているとは思えない。五中全会を前にして自らの指導力を問われるイシューでの決定的なカードを、よりにもよって小泉首相に握られているとうのは気分の良いものではないだろう。3月、4月の反日デモが行われた時期の中国の権力内部での対立というのはかなり危機的だったのだ。中国の政治日程と権力闘争の激化の可能性ということを鑑みると、8月15日の参拝を避けて温存した「靖国カード」の破壊力は更に強力になってる感じがする。胡さん、ひょっとしてマゾか?というよりも、日本が関わる重要な演説でこの問題に触れないことは、対日弱腰という批判を避けるためにはすでに不可能なのだろう。そもそも「靖国問題」を両国間の懸案事項にしたのは中国なのだから、まあ頑張って下さいとしかいいようがない。しかしながら、首相の靖国神社参拝がどういう事態に発展するかは全く予測不能だ。個人的には昨今の情勢を鑑みるに、3月、4月を超える大祭りに発展する予感がする。

(註7)「<抗日戦争式典>胡錦濤主席、小泉首相靖国参拝をけん制」『毎日新聞Yahoo!ニュース)』2005/09/04
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050903-00000061-mai-int
(註8)「国际社会高度关注胡锦涛讲话」『人民日報(人民網)』2005/09/05
http://www.people.com.cn/GB/paper464/15627/1382660.html

広東省番禺魚窩頭鎮大石村の事件に関する追記

 事実誤認があったのでその訂正から。大石村の村民が座り込みを決行したのは魚窩頭鎮政府ではなく番禺区民政局である模様です。この点に関して前回の文章を訂正しました。更に後半部分事実関係が曖昧なのと9月1日早朝に座り込みをしていた村民が本格的に当局から排除されたとの報道がありましたのでその辺を加筆します。シラフの時に文章を見直さないと駄目です、やっぱり。

 衝突のあった8月16日から一週間後の23日、衝突時に逮捕されたうちの四名が釈放された。一方で村民側に立った弁護士などの法律家たちは当局と折衝を重ねるが行き詰まりを見せる。魚窩頭鎮党委の副書記、番禺区司法科長などが窓口となったようだが、鎮党委副書記などは露骨に圧力と取れるような態度に出ている。そこで彼らは番禺区の上級に位置する広州市当局へと働きかける戦術を採った。こういう場合、直接の利害関係にない上級政府なり党委まで話を持っていくとそれなりに有効な反応が返ってくる場合がある。一方で、この事件を報道した報道機関は『南方農民報』、『South China Morning Post』、『新唐人電視台』、『Voice of America』、『Radio Free Asia』、『台湾中央広播電台』、『AFP通信』、『AP通信』、また『Knight Ridder Newspapers』、『The NewYork Times』、『Washington Post』が関心を持っているという(註1)。よくも宣伝したものである。

 しかしながらこうした活動は功を奏することなく、7月下旬に提出した村民委員会主任罷免動議は8月29日に番禺区民政局によって正式に拒否された。村民側の法律家は、行政手続を続けるか番禺区民政局を告訴することを勧めたようだが、村民は数ヶ月を要するそのような方法を採っていたのでは、物理的に村民側が村の財務室を魚窩頭鎮当局から守りきるのは不可能だと判断した(註2)。8月31日に百名近い番禺区民政局の門前に座り込みを始め、そのうちの八十名ほどがハンガーストライキを始めた。同日、午前八時には番禺区政府の職員が出所し終えると百名近い武装警察が派遣され、座り込みをするこの座り込みに参加していた馮偉南ほか三名を逮捕した(註3)。尚、この現場では『South China Morning Post』紙の記者が取材していた模様(註4)。逮捕者を出しながらも座り込みを続行して一夜明かした村民たちだが、9月1日早朝五時に武装警察が番禺区政府から排除して数十名を拘束したとのこと。正午までに大部分が釈放されたようだが、先に逮捕された馮偉南ら三名は未だに拘束されているという。現在、番禺区政府付近は武装警察が村民が再び座り込みなど始めないように警備している。村民側は馮偉南らの釈放を求めるととももに徹底的に戦うとしており(註5)、今後の展開が注目される。

 さて、前回は海外のマスコミの目もあるしあんまり無茶はしないだろうと考えていたのだが、あっけなくその予想が外れた。そういう無茶をやってのけるのが中国であり、そこにシビレる(以下略)。しかしながら胡錦濤主席の訪米を前にして、北京でも人権活動家逮捕するは、今回は今回でまた騒ぎになりそうだは、大丈夫なのだろうか。現在のワシントン辺りの中国に対する温度というのはかなり薄ら寒いものがあるのだが。

 それにしても村民側のまったく合法的と思われる訴えが通らないというのも、これでは集団抗争事件が減らないどころか増加していくわけだと思えてくる。一方で馮偉南に代表される「農民領袖」や、それを支援する郭飛雄のような「農民利益代弁人」の動きは非常に興味深い。こうした人々の活動が集団抗争事件をより組織的に大規模なものにしているのは間違いないように思う。こうした傾向は1990年代後半から見られたが、最近は目に見えて増加している。権利意識に目覚めつつある農民がどこへ向かうのか?ワクワクテカテカですな。

(註1)郭飛雄「郭飛雄『太石村事件最新进展』」『新世紀』2005/08/26
http://www.ncn.org/asp/zwginfo/da-KAY.asp?ID=65509&ad=8/26/2005
(註2)「太石村村民绝食声明:冯秋盛、梁树生被抓走」『新世紀』2005/08/31
http://www.ncn.org/asp/zwginfo/da-KAY.asp?ID=65570&ad=8/31/2005
(註3)「太石村村民再次抗議當局拒絕解散村委會重選」『自由亜洲電台』2005/08/31
http://www.rfa.org/cantonese/xinwen/2005/08/31/china_rights/
(註4)呂邦列「太石村村民绝食现场记录 ――甘地非暴力主义重现在中国农民身上」『新世紀』2005/09/01
(註5)「廣東番禺公安驅趕絕食抗議的太石村民」『自由亜洲電台』2005/09/01
http://www.rfa.org/cantonese/xinwen/2005/09/01/china_rights_taishi/

中国農民の目覚め?

protesters
 
 写真は『RFA』より転載。勝手に転載もあれだが、多くの人にこの事件を知ってもらうほうがいいだろうという趣旨で敢えて。魚窩頭鎮政府の前で座り込む大石村の村民。


 前回触れた広東省番禺魚窩頭鎮大石村で起きた村民委員会主任(村長)を巡る村民と各種基層政府との抗争に新しい動きが出てきたのでこれを期にこの事件について多少突っ込んで事件のあらましと背景などを書いてみたいと思う。

 事件の話を始める前に村民委員会というのをちょっと説明したい。改革開放期に入って戸別請負生産制が始まると集団生産、集団農業の実践組織としての人民公社は急速にその存在意義を失っていった。しかし、人民公社は集団生産、集団農業の実践組織に止まらず、社会主義体制下にあっては行政組織、社会福祉の実行機関としての側面も持っていた。人民公社は農村において、単位社会と呼ばれるすべての人々が単位に所属しあらゆる国家資源をそこから分配されるという体制の一翼を担っていた。それが解体していくことの基層社会に与えるインパクトは想像に難くないだろう。ことに農村における集団財産の流失、管理不能状態の現出は農村社会を混乱させた。そこで中央は人民公社に代わって郷鎮政府、人民公社下の生産大隊に代わって村民委員会を建設するための法制化を急速に進めた。

 ここで注目すべきなのは郷鎮政府が従来型の上級政府と党委員会、郷鎮レベルの党委員会の指導をうける中央から地方へと広がるヒエラルキー的な行政組織とされたのに対して(註1)、村民委員会が法的にも「民主的な自治組織」とさらた点にある。こうした決定がなされた背景というのはあまりはっきりしない。天安門事件以前の80年代には政治改革の雰囲気が充満していたこと、あるいは改革開放期には村落レベルでの基層組織には専門的な知識や学歴の高い人材が集まらないために直接選挙に代表される「民主的な」制度でそのリクルートを図ろうとしたこと、あるいは農村において幹部と村民の間の矛盾が深刻化していたことから権力の正当性を再構築する必要性にせまられていたこと、あるいは農村においていわば「権力の空白」状況が出現したことへの危機感、などの可能性をあげることはできる。ただどれも後付のそれらしい理由ではあるが決定性に欠ける。政策決定過程論的な実証的な研究が待たれるところだが、中国だし資料が出てこないんだよなぁ。取りあえずは全人代での法制化過程を見ると彭真が影響力を持って主導していたようではある。

 さてこの村民委員会による村民自治の柱とされているのが「民主的な選挙」、「民主的な決定」、「民主的な管理」、「民主的な監督」とされるもである(註2)。あまり書くと冗長になるので止めておくが、「民主的な選挙」ということであれば直接選挙による村民委員会主任の選出であり、一定の有権者の署名による村民委員会構成員に対する罷免などであるし、「民主的な決定」ということであれば、村民会議による各種の村事業に対する承認などであろうし、「民主的な管理」ということであれば村民会議などを通じての自治章程、村民規約の決定であろうし、「民主的な監督」ということであれば村財務や村事業の村民に対する公開ということになるだろう。

 法律の条文、理念はこうした「民主的な」規定を設けているが当然にそれが実際にそのように運用されているとは限らない。それぞれの地方によって選挙の細かな実施細則は異なっており、推薦段階で上級政府、党委による絞込みが行われることもあるし(ここで好ましくないと思われる候補者は落とされる)、もっと露骨な選挙介入をする例もある。甚だしくは郷鎮レベルの推薦した単一の候補に選挙で承認を与えるだけという人代の判子押しのような場合もあるし、選挙事態を行わず郷鎮政府が直接に主任を派遣して村落レベルでの行政を代行させている事例もある。こうした運用は当然に様々な矛盾を引き起こしている。特に村民委員会と村党支部の関係、村民委員会と上級の郷鎮政府との関係にその矛盾が集中しているという感がある。選挙で選出されたという村民とって疑いのない正当性を持つ村民委員会は往々にして党や上級政府の指導に従わないということが起こるからだ。こうした問題を解決すべく村民委員会の主任と村党支部書記の兼任ということが進められているようだが、これだと何のための「自治」か分からなくる。まあ基層エリートの党へのリクルート、党の正当性の再構築という点ではそれなりに有効な手なのかもしれないが。「民主的な選挙」というイシュー一つをとってもこの有様である、その他の「民主的な」運営については押して知るべし。可也端折ったが村民委員会の説明はこの辺で。

 さて広東省番禺魚窩頭鎮大石村の事件だ。この事件の発端は村民委員会が行った土地取引に関して会計的に不明瞭な点を村民が見つけたことに始まる。村民委員会主任(以下、村委会主任)が処理した村の財務表には二十ヵ所を越す不明瞭な項目があったという(註3)。これに不満を持った村民は馮偉南という人物を呼びかけ人にして現村委会主任の罷免を求める活動を始めた(註4)。「村民委員会組織法」の規定によれば村民の五分の一以上の署名があれば村民委員会の構成員の罷免を提起することが出来る(註5)。ところが8月16日にこの馮偉南が村内をオートバイに乗ってどこかにいこうとしているときに、魚窩頭鎮政府が派遣したと思われる不審な車が拉致しようとしたことから事件は村民の集団抗争という事態に発展した。村民はこの不審な車の一行を包囲したのだが、午後五時半になると武装警察(防暴?)約500名が到着。村民との衝突に至った。報道によれば、7月の下旬には罷免のための動議を提出したとのことだが、その時は当地の派出所(鎮政府の出張所と思われる)と村民委員会は署名の受け取りを拒否、署名した村民には署名を撤回するように要求していたという(註6)。何やら土地取引に絡んで村民委員会と鎮政府が結託して不正を行っていた気配濃厚である。報道には触れられてないが村委会主任の選出過程にも鎮政府の介入があったのではないかという雰囲気も感じる。更には鎮政府は村の財務状況を審査するという名目で、村の財務表を持っていこうとしていたとのこと。村民の多くはこれを「証拠隠滅」と感じていた(註7)。というわけで、馮偉南はかなり前から鎮政府にも目を付けられていたようだ。それが、8月16日の事件に発展したというわけである。ちなみに、この時の村民と武装警察の衝突の模様は『自由亜洲電台』のウェブサイトにwmvファイルがうぷされている(註8)。

 この騒動では七名が逮捕され二名の村民が重傷を負ったが、馮偉南は辛くも逮捕を逃れた。
事件後の17日に彼は隣村の友人、陳さん宅に匿われていたが、昼食後に食休みしているところに二十名近い警官が突入して来た。陳さん夫婦は激怒して警察に逮捕に際しての手続きを踏むように要求し、その隙に馮偉南は裏口から逃亡。ちょうどその時激しく雨が降っていたため追っ手を撒いた彼はサトウキビ畑に七時間も身を潜めたという(註9)。

 その後、安全を確認した馮偉南はその場を離れ、法律家の郭飛雄との面会に向かった。この手際の良さからは、あるいは両名は以前から連絡を取り合っていたものと思われる。村民の「村民委員会組織法」上まったく合法的な罷免要求手続きなどをみているとそれなりの助言を与えたいのではないかと思われる。前回も書いたが、こここに私などは「農民利益代弁人」というある種のネットワークの存在を感じるのだが。あるいは、この馮偉南という人物がそれなりの教育を受けた人物なのかもしれない。ともかく、馮偉南は郭飛雄に自身と逮捕者の今後の法律的な弁護を依頼した(註10)。これを受けて郭飛雄は広州の法律事務所に助っ人を求める連絡をし、国内外のメディアに連絡をとったようである。学者まで来るし(註11)。

 さて、法律家の面々は主に国外のマスコミを巻き込みつつ番禺区公安の法務当局に掛け合う一方、中央の公安に「手紙による陳情」(上信)などを行う。しかしながら、現地当局は提出書類の書式が違う、手続き上問題があると言を左右にして法に則った処理を行わない。仕舞には当局から「公共の秩序を脅かす行動である」と脅迫される始末である(註12)。たとえ合法的に行動してもそれを独立した司法が判断するという体制にない中国の限界がこの辺にあるのだが、それでも話が大きくなれば中央の注目をひきつけて地方政府の態度を覆せるという可能性はある。大体、この手の法律(の建前)を錦の御旗にして当局と争う場合に穏当に解決される場合はこのパターンが多い。中央としても「学習活動」の材料とできるし、何より自信の布告した法律なり講話なり通達が無視されるているといのが広く宣伝されるのは権力者としての沽券に関わる。

 うむ、ビールが回ってきた。近所に結構うまい揚げ物の屋台を見つけた(註13)。それを肴にやっている。それはともかく、そういうわけなので法律家たちは村民にことの解決には数ヶ月かかると訴えた。ところが、村民としてはそんな長期に渡って村の財務表を死守しきれないと判断したようだ。そこで番禺区民政局鎮政府の前での座り込みとハンガーストライキを決行することを決定した(註14)。更に馮偉南を含む罷免署名活動に関わる三名が新たに逮捕されたことも関係しているかと思う。しかし、国外のメディアがそれなりに注目しつつある今、地方政府当局としても手荒な手段は取れないだろう。だからこそ、座り込みとハンガーストライキという手段にでて更なるアピールを狙ってるのかもしれない。村民側の参謀となってる人も中々に食えない人のようだ。

 最後に生臭い話を一つ。広東省では農村で集団所有している土地を自由に市場で売買できるようにする規制緩和条例が10月1日に公布される見込みとの事(註15)。タイミング的にアレな気がするが。他のとこでも土地に絡む抗争が起きてるんだよなぁ、広東省。生臭い話の核心に入っていくと、胡錦濤が「和諧社会」とか経済の過熱化阻止のために「マクロ調整」とか言ってる時期にこれですか。土地投機、農村の土地が流失を連想させるこの条例の公布というのも胡錦濤の唱えているお題目に反する気もするが。梅州の私炭鉱爆破というのも気になりますなぁ。「広東王」葉一族というのも今は昔の話だけど、この地方と中央の関係も気になる。深圳方面でも不況和音が聞こえてますなぁ。最後の方は脚注を付ける気力が残されていないので(2リットル目に突入)、その辺は興がのれば後日にでも。何れにせよ、この中央と広東省の温度差というのは大石村の村民には行幸かも。

(註1)無論、単純な指導、被指導という関係に収まらない上級と下級のバーゲニングというのもあるが党組織を通じた中央から地方に広がるヒエラルキー構造というのは前提としてあるだろう。
(註2)「村民委員会組織法」第二条。「村民員会は村民の自己管理、自己教育、自己服務のための基層民衆性の自治組織であり、民主的な選挙、民主的な決定、民主的な管理、民主的な監督を実行する。」
(註3)「廣州番禺村民因要求改選村委會主任與武警發生衝突」『自由亜洲電台』2005/08/17
http://www.rfa.org/cantonese/xinwen/2005/08/17/china_rights/
(註4)同上、『自由亜洲電台』(2005/08/17)
(註5)「村民委員会組織法」第十六条。「本村の五分の一以上の選挙権を有する村民の連名があれば、村民委員会の構成員の罷免を要求できる。罷免要求に際しては相応の罷免理由を要す。罷免を提起された村民委員会の構成員は申し開きをする権利を有す。村民委員会は即時に村民会議を開き、投票を以て罷免要求を決定しなければならない。村民委員会の構成員の罷免は選挙権を有する村民の過半数を必要とする。」
(註6)「廣東太石村逃避追捕的村民向本台講述罷免村幹部事件的最新情況」『自由亜洲電台』2005/08/26
http://www.rfa.org/cantonese/xinwen/2005/08/26/china_rights/
(註7)「太石村村民绝食声明:冯秋盛、梁树生被抓走」『新世紀』2005/08/31
http://www.ncn.org/asp/zwginfo/da-KAY.asp?ID=65570&ad=8/31/2005
(註8)上掲、『自由亜洲電台』2005/08/26、「相関視聴資料:大石村衝突録像資料」参照のこと。
(註9)郭飛雄「太石村民罢免村官动议发起人冯秋盛流落在外 ――广州郊区太石村罢免村官工作最新进展」『新世紀』2005/08/21
http://www.ncn.org/asp/zwginfo/da-KAY.asp?ID=65434&ad=8/21/2005
(註10)同上、郭飛雄(2005/08/21)
(註11)呂邦列「陪同美国记者采访太石村的见闻」『新世紀』2005/08/26
(註12)上掲、郭飛雄(2005/08/21)、郭飛雄「郭飛雄「太石村事件最新进展『新世紀』2005/08/26
http://www.ncn.org/asp/zwginfo/da-KAY.asp?ID=65509&ad=8/26/2005
(註13)「鹽酥雞」屋。こちらなど参照のこと。
http://blogs.yahoo.co.jp/kochiron_162/archive/2005/8/19
(註14)上掲、『新世紀』2005/08/31、「太石村村民再次抗議當局拒絕解散村委會重選」『自由亜洲電台』2005/08/31
(註15)「廣東農村土地鬆綁 人稱中國第四次土地改革」『中央社(蕃薯藤新聞)』2005/08/30
http://news.yam.com/cna/china/200508/20050830968402.html